執着を捨てる

いやー、まったくなぜこうも次々と試練がやってくるのか。

また、弱音を吐きやがってと呆れられそうだが、今回の試練もなかなかのものだ。残業が多すぎるから減らすように会社から言われた。多すぎると言っても月に30時間弱だから、格別残業が多いわけではないし、サービス残業もほぼないので、それほどブラック企業ではないが、残業時間を一桁まで減らさなければならない。

炎上を怖れずに言うと、今もらっている給料は上場企業に就職した新入社員の平均に毛が生えた程度だ。それこそ楽天やソフトバンクの新入社員には負けているだろう。それで残業代まで削られたらホント生活ができない。副業でバイトでもしたいが、うちの会社は副業禁止なので、もしバレて何かあったら元も子もない。以前、転職を考えたことがあってハローワークに相談に行ったが、声が出にくいことと障害者雇用での転職は今より給料が下がると言われてしまった。マイカーを売るとか、持ち家を売って安アパートに引っ越すとか、まだまだできることはあるが、できれば家庭の事情で子供たちには不憫な思いをさせたくない。

考えてもお金が増えるわけではないが、久々にメンタルをやられてしまった。あまりにもいろんなことが降りかかる僕の人生は、ある意味ドラマチックだが、自分の気持ちを落ち着かせるために、僕は人生を捨てることにした。周りの人を羨んだり、自分の人生に希望を持つからうまくいかない時の反動が大きい。いっそのこと人生を捨ててしまえばいい。もう48年も生きて、それなりに楽しいこともあったじゃないか。

以前、AIに人は救えるか会議で、龍谷大学の先生が、仏教の世界では悟るとは執着を捨てることだと言っていた。これは、何かに悩み苦しんでいる人に是非とも読んで頂きたいのだけれど、辛いことも悲しいことも苦しいことも、執着するから起こるのだ。お金に執着し、出世に執着し、人から好かれることに執着し、インスタでいいねをもらうことに執着する。執着しないことで楽になれる。もう、自分の人生にすら執着せずに捨ててしまおう、喜怒哀楽を捨ててしまおう、とここまで考えて、ん?ってなった。

喜びや怒りや哀しみは、執着に起因する。執着するから喜び、執着するから怒り、執着するから哀しむ。しかし、「楽」に関しては、楽しむことも楽に生きることも、むしろ執着しないほうがいい。執着しないことで、ずっと楽に生きることができる。これだ!と思った。

例えばパラリンピックに出てる選手たちは、自分の障害に執着しているだろうか?おそらくまったくしていないだろう。いやいや、彼らはメダルを取る事に執着してるでしょう、と言う人がいるかもしれない。これは、僕の憶測に過ぎないが、彼らはメダルに執着していないと思う。執着している人はドーピングをしたり、ライバルを蹴落そうとしているような人だ。純粋なアスリートであれば、メダルへの執着よりも、どちらかと言えば自分との闘いで、執着とは違うと思う。どんなに苦しいトレーニングも、メダルや名誉に執着していない人にとっては「楽」なはずだ。

僕みたいに人生を捨てるのは行き過ぎだが、執着は捨てよう。以前、嫌われる勇気という本がベストセラーになったが、嫌われることに勇気など微塵も必要ない。人間関係も出世も名誉もリア充も、執着から逃れることで楽になる。

僕らの人生は自分のもので誰のものでもない。執着を捨てることで、自分らしく生きていこう。


NLP、LSH、elements

声が出にくくなってから、人が集まるところへはなかなか行かなくなって、引きこもり状態だったんだけど、この連休にイベントが重なって、久しぶりに足を運んだ。

NLPのオープニングレセプションは、平城京に近く、朱雀門が見渡せるという最高のロケーションに、永富さんがニンキペン!の今津さんはじめ最高の面子で作り上げたというだけあって、流石の空間。永富さんが独立して忙しそうにしていた時に、まだまだこんなレベルで終わるワケはない!と半分本気半分冗談でハッパをかけたことがあったけど、正直ここまで行くとはご立派。朝のうちの静かな時間に行こうと思ったけど、朝からすごい人で、なんだか場違いな感じがして、地元で有名なドエルのマロンブッセをスタッフさんに預けてそそくさと帰ってきた。

http://www.newlightpottery.com/

今日お伺いした奥和田さんのLSHは、一人暮らしには贅沢すぎる空間。相変わらずうちの商品を採用してくれていて嬉しかった。森林食堂さんと西成のクラフトビールをタダでご馳走になっていい気分になっていたけど、西成のderailleur brew worksさんがビールをイメージしたポスターを飾っていて、それがすごく良くて、近々ネットショップを立ち上げるとのことだったので買いたいと思う。

http://derailleurbrewworks.com/ 

そのまま中津のpantaloonさんのelements2へ。pantaloonさんは、最近行けてなかったけど、すごいよかった。工業化以前、優れた道具や技術がなかった時代、そこにあるものを積み、束ねるという単純な行為で成り立っていたものを現代的に再解釈した展示で、アートとプロダクトと間のような、プリミティブとモダンの間のような作品が素敵すぎた。作家の方が製作工程でできたプロトみたいなものを販売していて、おまけに安かったのでプロトタイプの好きな僕は思わず衝動買い。帰ってさっそく部屋に飾ったら、一部欠けていてちょっとショックだったけど、プロトだから仕方ない。まあ、それも味のうち。その作品を作られた置田さんという方と話をしてきたら、ovest designをご存知で嬉しかった。

http://elements-p.net/ 

なんか、クリエイティブなものを見てると、NORDHARDWARESTANDARDSを真剣に再開してみたくなった。お金と仕事に余裕ができたら復活させよかな。

https://nrdhrdwrstndrds.tumblr.com/

さて、今日は下町ロケット見て、今日から俺は!見て、革命のファンファーレ読んで寝るか!


ふがいない僕は空を見た(ネタバレ)

図書館で借りたい本を検索機で探す。

借りたい本が全て貸し出し済み。かなり前に読もうと思っていた、ふがいない僕は空を見たを借りる。

小中高とイジメにあい、大学で声をかけられた男性と関係を持ち続け、好きでもない人と結婚したあんず。アニメとコスプレが唯一の愉しみのあんずは、街で見かけた斉藤くんに声をかけ、斉藤くんにコスプレをさせ、台本通りにセックスをするよう「買春」をする。

ふたりの行為は隠しカメラで撮られ、斉藤くんの学校にまでばら撒かれ、斉藤くんは次第に引きこもっていく。

斉藤くんの友達のセイタカは、幼い頃に父親が自殺し、実の母親も男を作って家を出る。残されたセイタカは自殺した父親の母であり、認知症のおばあちゃんを僅かなアルバイト代で養い、面倒を見る。

セイタカのバイト先の先輩である田岡さんは、医者の家に産まれ、有名大学を卒業して、出来の悪い少年少女達の為に勉強を教えることを夢見るが、少年に勉強を教えてあげると誘って裸の写真を撮り、児童ポルノ法違反で警察に捕まってしまった。

イジメ、引きこもり、買春、自殺・・・。ここまで複雑で暗く切ない人生の羅列は実社会ではなかなかないが、いずれも実際に社会にある問題である。

しかし、彼らの生き様に後ろ向きな姿勢はない。彼らが決して弱音を吐くことなく自分の人生と向き合っている描写もそうだが、助産婦として新たな生命の誕生と向き合う斉藤くんの母親の姿に、命の尊さを感じるからだろうか。

「子どもは親や環境を選んで産まれてくる」。

借りたい本がなくて、たまたま借りた本。彼らに比べれば遥かに恵まれた自分が人生に腐りかけていることに恥ずかしさを感じる。環境がどうであれ、現実がとうであれ、生きているならば、歩み続けるしかない。

恵まれているとは言えない。幸せとも言えない。それでも、僕は生きているんだ。

斉藤くんとセイタカが、担任の先生の妊娠したお腹を触ってはしゃぐ姿に、僕は静かにエールを送った。



病院と図書館

僕の好きな場所。

病院と図書館。

病院は病気で2ヶ月半入院していた時に、看護師さんの優しさに触れたことと、機内食的な病院の食事が好き。もう入院はしたくないけれど。

図書館は、おそらく一生かかっても読みきれないほどの本がたくさんあるのが好き。本の数だけいろんな考え方や生き方があるんだなぁとか考えると、まるで宇宙のような無限を感じる。

僕は大学病院に入院していたから、せっかくなら図書館と病院が一緒だったらいいのにな。図書館って、本がたくさんあるだけでなくて、紙芝居とか人形劇とかやってるし、子供もたくさん来てるから、病気の人が好きな本を読めたり、子供たちと触れ合えたら楽しいと思う。

病院って、特に入院病棟は隔離されてるイメージがあって、もっとオープンでもいい気がする。

探したらありそうだけど。

そういうのが当たり前だったらいいのにな。


シャイロックの子供たち

50ページほど読んで、あ、この本読んだわと気がついた。

図書館に行くと検索機で読みたい本を探す。その時は、読みたい本が見つからなくて、ふと返却BOXに池井戸潤のシャイロックの子供たちが置かれているのを見つけた。下町ロケットを読んでから、池井戸潤の本は好んで読んでいる。なかなか人気があって、ほとんどの本が貸出中になっている。ラッキーと思って借りてみたものの、だいぶ前に読んでいた。

シャイロックの子供たちは、下町ロケットとは違い、東京第一銀行長原支店を舞台に繰り広げられるなんとも哀愁が漂う人間模様を描いた短編集。出世と世間体とノルマに追われる悲しき人間の性が哀しみを帯びた文体で描かれる。

その中にシーソーゲームという話があって、なんとも言えない悲しさを帯びて幕を閉じる。

「花の咲かない人生というのもあるのだろうか。」シーソーゲームの一文である。誰もが世界にひとつだけの花だと槇原敬之は歌ったが、誰もが花を咲かせるとは限らない。花を咲かせることもなく、雑草として生きるものもあれば、本来なら美しい花を咲かせるはずが、咲かせる前に枯れてしまうものもあるだろう。

枯れてこそ美しい。自分はそんな花かもしれない。


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