炎上と議論

ここ数年で炎上という言葉をよく聞くようになった。

SNSなどで発言したことが、非難や批判の集中砲火を浴びて収集がつかなくなる事態を言う。僕のブログをよく読んでくれている人はご存知のように、僕は双極性障害と持ち前の歯に衣着せぬ発言で、書きたい放題書いているが、炎上することは、まずない。基本的に炎上する人は有名人とか社会的に影響力のある人だろう。僕程度の人間がちょっと大胆なことを書いたくらいでは、まず炎上までいかない。

別に炎上したいわけではない。でも、ブログではなるべく今考えていること、日常の出来事で感じた思いなどをなるべく素直に表現することにしている。炎上しなくても、議論を巻き起こしたいという気持ちはある。最近ではSNSやLINEなどのツールが豊富で、ある意味繋がりやすくなった。僕個人のことを考えても、Facebookなどで、高校の同級生などとたくさん繋がっている。しかし、その内容はと言うと、とても、薄っぺらいものになっている気がしてならない。Facebookでいいねして、LINEの通知にスタンプ押して、はい!終わり。ただボタンを押すだけの最近のコミュニケーションの希薄さに寂しさすら感じる。

大袈裟な話になっちゃうけど、僕はブログで問題提起をしていきたい。自分の考えが絶対正しいとは、まったく思わないし、それこそいろんな意見があると思う。俺もそう思うわー!とか、こいつぜんぜんわかってねーな!とか。僕のブログは毎日100人以上の人が読んでくれているから、みんなの意見が聞けたら楽しいだろうな。

たまに飲み会で、僕のブログのネタを肴にお酒を飲むことがあるけど、そん時はめちゃくちゃ楽しい。簡易なツールでのうわべのコミュニケーションなんてつまらなくないか?まあ、今は簡易に繋がりすぎて、情報量もハンパないから仕方ないんだろうけど。

僕のブログが何かのきっかけになればと思う。


常識なんて覆せ!

僕は最近新しいことを始めた。

何を始めたのかは事情があって、今はまだ言うことができないが、世間一般で言うところの非常識なことである。

自分でも非常識であることは認識していて、後ろめたい気持ちもあったので、友人に相談したところ、ルール違反だと言われた。しかし、ルールとはなんだろう。

僕は日本という国に住んでいるので、日本の法律に基づき、法を守ることがルールを守ることだろう。高校の頃に、見通しのよい通りで車がまったく走っていない道路を赤信号を無視して渡ったところ、私服警官に注意されたことがある。その場は、すいませんと誤ったが、「赤信号である」という理由だけで渡らないと判断するのはおかしいと、ひねくれた高校生だった僕は思ったものだった。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉があったが、今の時代はひとりでも、「赤信号」を渡るべきかどうかは自分で判断するべき時代だと思う。「赤信号」だから渡ってはいけないと単純に判断するのは危険であり、時代遅れだ。

僕が学生の頃は、いい大学に入って一流企業に入ることが、「勝ち組」とされた。ところが大学に入ると共にバブルが弾け、就職活動は「どしゃ降り」と言われ、僕の知り合いでも就職浪人するものがいた。それから30年近く経つのに、未だに必死に子供を塾に通わせる親のなんて多いことか。僕は子供を塾に通わせるどころか、勉強しろなどと言ったことは一度もない。価値観は多様化し、幸せの基準は細分化されている。

資本主義とか社会主義とか二者択一ではなくて、いいとこ取りの社会でよいのではないかと思う。家賃や教育費、医療費などはすべて無料で、最低限の生活は保証されているような社会がよい。ルンバや高級車など、贅沢品が欲しい人は頑張って働けばいい。高校までは教育費は無料で、大学は本当に勉強したい若者だけが行けばいい。僕なんか大学でロクに勉強していなかったから、無駄に授業料を払ってもらった親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。僕は自分が病気をしたから、かなり、医療費がかかった。今でも病院に定期的に言ってるので、医療費もバカにならない。病気をしただけでも不幸なのに、その上生活も苦しくなるとは、なんと不公平なことか。

今、僕らが生きている社会は意味のない常識ばかりだ。他人が考える常識や他人が決めたルールに従って生きるより、これからは常識なんて覆して生きていくべきではないだろうか。


アイデアで国民は救えるか

会社帰り、最寄駅で降りると市議会議員の候補者と支援者が道行く人に声をかけ、ビラを撒いている。

今日の人は「よろしくお願いします!」、「ありがとうございます!」などと言いながら強引に家路へ急ぐ人に握手を求めている。僕はイヤホンをし、コートのポケットに手を突っ込んで絶対に握手はしないオーラを出してすり抜けた。

僕の使う最寄駅には、こうした議員さんや候補者が度々ビラを撒いたり、挨拶をしたりしている。そのほとんどが「○○です!」、「よろしくお願いします!」、「おはようございます!」、「お仕事お疲れ様です!」と言った内容だが、何をよろしくお願いするのだろう。その人が何をしてくれるのか、その人に投票することでどういう未来が描けるのかがこれでは全く分からないのに、こちらとしても投票する理由がない。

以前、三宅洋平という人が選挙フェスと銘打って東京各地で演説をしていた。僕は政治に無知だし、この場で政治的な発言をするつもりもないので、三宅さんに対して言及するつもりはないが、今の政治のどこが曲がっているのか、今何をしなければいけないのかを名前の連呼ではなく演説という形で表現していたのは印象深かった。

僕は4月から「謎のアイデア集団」というワークショップに参加する予定だが、そこで日本の選挙を変えるアイデアが出せないかと考えている。謎のアイデア集団とは、簡単に言うと団体や企業が抱える課題や問題を、みんなの知恵で解決しようという試みである。だが、世間の人が抱える問題は、このワークショップでは解決できないのでは?という疑問がある。基本的にこのアイデア集団が解決する対象にはクライアントの存在が必要である。今の世の中、様々なことで困っている人がいるが、この場合、クライアントは国民になってしまう。場合によっては、NPOなどがクライアントとなる、もしくは、企業の慈善活動としてアイデアを提供することで世の中が抱える課題を解決できるかもしれないが、そういうケースは稀で、今の世の中の多くの人が抱える問題や悩みをアイデアで解決することは不可能では?、と考えている。

毎日ニュースで傷ましい事件が報道される。一瞬心を傷めることはあっても、所詮は他人事で、次の瞬間には自分のことで頭がいっぱい。他人の死に僕らは驚くほど無頓着だ。

世の中には、本当に困っているひと、苦しんでいるひとがたくさんいる。難病を抱えて産まれてきた我が子に為すすべなく見守るしかない親や、毎日のように虐待を受け、誰にSOSを出すこともなく耐え続ける子供たちや、大切な子供を拉致され、何十年も待ち続けながら国に頼るしかない拉致被害者の家族達。

今のこの国が抱える問題は山ほどあって、解決しなければいけないことも山ほどあるのに、結局それは、この国の政治が、この社会が変わらなければならない。

果たしてアイデアで国民は救えるのだろうか?



僕の居場所

先日、息子とサッカーの日本代表戦をテレビで見ていた。小学校からサッカーをしている息子とテレビでサッカー観戦をするのがささやかな楽しみである。それほど退屈な試合という訳ではなかったが、後半に入って睡魔に襲われた。思わずコクリとしてしまった僕を息子に起こされる。息子は明らかに苛立っていた。息子の苛立ちの原因は、僕のいびきである。相当うるさいようで、息子はテレビを見ている時、勉強している時に僕のいびきに邪魔をされるのが、かなりストレスになっているとのことだった。何度も注意しているのに、なぜ聞いてくれないのか?、なぜ、自分の悪いところを直そうとしないのか?そんな父親に対して、息子が反感を持つのも仕方なかった。僕も寝たくて寝てる訳ではないし、自分のいびきがどれほどうるさいのか、自分ではわからない。しかし、その自覚の無さが、余計に息子を苛立たせているようだった。仕事で疲れて帰ってきているのだから、少しは理解してほしいと嫁さんに相談したが、そんなことは息子もわかっていて、わかっているから息子も悩んでいるし、葛藤していると言われてしまった。

僕は家族が好き「だった」。仕事が終わればすぐにでも家に帰りたかったし、休みの日には、家族と家で過ごすのが好きだった。しかし、今では、家族と会話すらない。嫁さんと子供たちは楽しそうに話をしている。でも、その内容は、学校の話がメインで、友達の名前などが出てきても僕には理解できなかった。嫁さんに言わせれば、これまでの僕の態度や子供たちとの接し方の当然の結果だと言う。何も言い返せなかったし、ショックだった。どうすれば、今の状況を改善できるのかも分からない。いつから歯車が狂ってきたのだろう。おそらくコンマ数ミリのわずかな狂いが、少しずつ僕と家族の間に溝を作ったのだろう。

今では、僕以外の家族3人が楽しそうにしているのを余所目に、僕は家でも独りで過ごすようになった。最近では、家族が集まるリビングは、僕にとって苦痛でしかない。この状況が辛くて、でも、どうすればいいかわからなくて佇んでいる。

居心地の良かった僕の家から、僕の居場所は消えた。


Spotifyを無料でとことん楽しむ

Spotifyは、素晴らしい。

僕は、学生の頃、バンドを組んでいたくらいだから、それなりに音楽が好きだ。社会人になってからは、あまり音楽に触れることはなくなったが、SpotifyをiPhoneに入れてから、また音楽を聴くようになった。音楽を聴くのは、だいたい通勤時間。家から駅まで15分ほど歩くので、その間に聴く。会社に向かう時と、家に帰る時。往復30分のミュージックタイム。Spotifyのプレイリストで自分の好きなジャンルからお気に入りのプレイリストをマイライブラリーに登録して、その時の気分で聴いている。Spotifyだとお気に入りのプレイリストを登録さえすれば、自分の知らないアーティストでも聴くことができるし、気に入ったプレイリストだと、ホントハズレがない選曲だ。もちろん、プレミアムじゃないが、たまに流れる広告とシャッフル再生しかできないのと、スキップができないことを我慢すればたいした問題ではない。無料でこれだけ楽しめれば十分じゃないか。

と、思っていたのは、半年ほど前の話。世の中そんなに甘くない。僕は格安スマホを使っている。もちろん、一番安い月3ギガのプラン。格安スマホで、その中でも最安プランを選び、さらにSpotifyを無料で楽しもうなどと考えるのが甘かった。Spotifyを1日30分ほどオンラインで聴くと、ユウに月の上限3ギガを超えて利用制限が掛かってしまうのだ!僕の華々しいSpotifyライフは無残に散った。仕方なく、僕は手持ちのCDの中からお気に入りのCDをiPhoneに入れて聴くようになった・・・。

先日、iPhoneをいじっていて、ふと、iPhoneに目が釘付けになった。確かに3秒くらい時が止まっていたと思う。iPhoneのミュージックに、「プレイリスト」とあるではないか!気付かんかったー!10年もiPhone使ってて、プレイリスト機能があったなんて!プレイリストに自分のお気に入りの曲を入れたらええやん?

はい!では、まずiPhone片手にパソコンを起動します。iPhoneでSpotifyのアプリを開いて、パソコンにはアマゾンのサイトと市立中央図書館のサイトを開けます。Spotifyのお気に入りのプレイリストから、自分の好きな曲を選びます。と言っても、無料プランだとシャッフル再生&スキップできないという呪縛がある。しかし、無料でも、10秒くらいなら、どれでも聴くことができるのだ!この10秒で、自分の好みの音楽かどうかを判断する。そして、気に入った曲があれば、中央図書館のサイトでそのアーティストのCDがあるかをチェックする。図書館と言うとクラッシックと落語のCDしかないようなイメージがあるが、なかなかの品揃えなのだ。例えば、今日、僕が図書館で借りてきたCDは、スマッシングパンプキンズにフーファイターズにオーヴァーキルといった感じ。そして、図書館にCDがあれば、今度はアマゾンでレヴューをチェックする。運が良ければ、アマゾンなら視聴までできる。図書館は、さすがにTSUTAYAほど品揃えはよくないから、アマゾンを参考になるべく良さげなCDをネット予約する(最近の図書館は、ネットで在庫確認と予約までできるのだ!)。あとは、図書館から予約確保の連絡を待ち、iPhoneのプレイリストにお気に入りのCDを入れるだけ。僕は、自分の好みに合わせて、ハードコア系、ヒップホップ系、渋谷系、正統派ロック系、レゲエ系、ミスチル系と6つのプレイリストを作った。プレイリストには、アルバムをまるごと入れるから、自分のあまり好きじゃない曲もあるけど、そんな曲はプレイリストから削除すればいい。はい!これでお気に入りプレイリストの完成!

結局、図書館は最強というお話でした。


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