罪人(つみびと)

こんなに悲しい物語があるだろうか。


2010年、大阪のマンションに当時3歳と1歳の子どもを置き去りにし、餓死させた大阪二児置き去り死事件に着想を得て書かれた山田詠美の小説。


物語は被疑者である蓮音、蓮音の母である琴音、蓮音の息子、桃太の視点で進められる。


DV、レイプ、性的虐待・・・。

思わず目を逸らしたくなるような被疑者と被疑者を取り巻く運命の悲しい過去と運命。


当時、鬼母と叩かれた蓮音が罪を犯すまでの過程に、同情すら覚えてしまう。


ただ、幸せを望んでいるだけなのに。


ただ、頑張っているだけなのに。


どこまでがノンフィクションでどこからがフィクションなのかわからないが、実際にこうだったのではないか?と思わせる。


誰もが等しく幸せになることができないこの世界。

罪を償った彼女に幸せが訪れることはあるのだろうか。




自治会最高かよ

僕の住んでいる自治会は、アーデル自治会という。


昔から住んでいる人と、僕らみたいに最近(と言っても15年前だけど)新興住宅に住み始めた人が集まる自治会。


この自治会が最高で、おそらく最近の自治会には珍しく、いろんなイベントがあり、交流の機会がある。5年程前までは、近くの公園でみんなが集まってバーベキューなんかをする親睦会があった。


近くにマンションが建ったことで、夏の親睦会はなくなったのだけれど、僕らと同じ世代の会長さんが、是非とも、夏の親睦会を復活させたいとのことで、今年は規模が小さくなったものの、久々に親睦会が再開した。


子どもたちも成長し、僕らもすっかり歳を取ってしまったけれど、こうしてみんなが集まると、子どもたちは子どもたちで盛り上がってるし、僕ら親の世代も、久々にみんなが集まって、盛り上がる。


引っ越してきた当初、まだ幼稚園にもいかないような幼な子だった子どもたちもすっかり大きくなったけど、こうして自治会の集まりに参加している。僕ら大人たちも、昔と変わらずゲラゲラ笑いながら盛り上がってる。


来年、成人式を迎えるケンゴ君が、「将来、アーデル自治会の役員をやります!」と頼もしく宣言する。


こうして、自治会のみんなが集まって老若男女問わず盛り上がれることを幸せだなと感じた。


いままで自治会を引っ張ってきた諸先輩方も歳をとった。これからは、僕らが自治会を引っ張っていって、次の世代に引き継いでいかなければいけない。


アーデル自治会、最高!


あなたの幸福度は?

僕がよく読んでいる松倉さんのnoteで、興味深い記述があった。


それは、松倉さんが、「幸福度なんて測れない」という題名で書いていたもの。


https://note.mu/sbr/n/n0f8c86eb0b5d


松倉さんが「時間に追われていると幸福度が下がる」というネットニュースを見て、「そもそも、幸福度なんて、どうやって測るの?」という疑問から出てきた内容だ。


確かに。。。

幸福度って、どうやって測ってるんだ??


そこで、調べてみた。

簡単に言うと、実際に「あなたは、幸福ですか?」という質問を投げかけて、それを数値とする「主観系幸福度」と、GDPや収入、健康度などのさまざまなデータから幸福度を出す「客観系幸福度」があるらしい。


この幸福度には、宗教なども深く関係しているという。例えば、幸福度の高い国として有名なブータンなんかは、仏教の信仰心の強い国だし、貧しい国でも、宗教観で幸福感を感じている文化もあるだろう。


さらに、国民総生産のGDPならぬ、国民総幸福量、GNH(Gross National Happiness)なるものが存在するらしい。GNHは、その名の通り、国民の幸福度を示す指標だ。


松倉さんも指摘している通り、この幸福度ってヤツは、かなりブレがある。最近の僕は、工場勤務に異動になったり、家庭でも子どもたちが親離れしてきて、幸福度は40点といったところだろう。しかし、同じ工場でゲラゲラ笑いながら仕事してる仲間を見たり、残念ながら離婚してしまった仲間を見てると、自分の今の立場は必ずしも不幸ではないと思われる。


僕の周りでも、確かに、仕事もうまくいって、いい家に住んで、いい車に乗って、海外旅行に行って、めちゃくちゃリア充やん!!ってヤツもいるけど、彼は彼なりの悩みがあるかもしれない(いや、むしろ、あってほしい)。


結局のところ、人は幸せになったり、不幸な気分になったりを繰り返すし、同じ境遇であっても、その本人がそれを幸せと思うか、不幸せと思うかなのだろう。それなら、どういう状況であれ、自分は幸せだー!と思って生きたほうがいい。役者のムロツヨシは、幼い頃に両親が離婚し、親戚に育てられるという経歴を持ち、長い下積み時代を過ごしたが、「マイナスをすべてプラスに変えて生きてきた」と話している。


基本的には、収入が増えると幸福度も上がるらしいが、ある程度の収入を超えると幸福度は変わらないらしい。結局、幸福に慣れてしまうのだ。逆もまた然りで、事故などで障害を負って幸福度が下がっても、ある程度の時間が経つと慣れてしまって不幸には感じなくなる。


結局のところ、幸福度など考えないのが一番よい。


魂の叫び

いつも、僕のブログを読んでくれてありがとうございます。初めての方もようこそ!


さて、先日、ブログの読者を1日1000人まで増やすぞ!、と意気込んでみたが、僕のブログはブログなんて生易しいもんではない。


僕だって、できれば読んでいておもしろいブログを書きたい。読んでいて為になるブログを書いてみたい。でも、そんな才能は僕にはないし、人間もできていない。残念ながら。


ただ、僕は病気をしたり、いろいろ生活が大変だったりで、自慢じゃないけど人並みに苦労していると思うんだよね。ほんと、波瀾万丈。そういう人生に前向きに突っ走る様も素晴らしいと思うんだけど、人間誰しもそんな強くないよね。


そういう人間の弱いところを、こういうブログとかSNSなんかで、さらけ出すことに関しては賛否あると思うけど、僕がどんなことに悩み、どんなことを考えているのか、そういうことを素直に書くことは、ある程度価値があるのでは?と考えている。


だって、立派な人の為になる考え方とか、成功を手に入れた人のありがたいお話なんかは、本を読めばいくらでも書いてるじゃん。僕はよく本を読むし、所謂自己啓発本なんかもいろいろ読んできたし、為になる本もたくさんあったけど、本になるような人生を歩んできた人は、結局、ある意味成功しているんだよね。


でも、多くの人の人生はそううまくいってない。みんなそれぞれいろいろ悩み、なんとか幸せになりたいと願ってる。でも、悩みってなかなか人に話せないじゃない。もしくは、勇気を出してそういう悩みを誰かに話した時に、正論で返されてブルーになったことはないかい?


僕はあえて、弱いところを惜しげもなく出していきたい。無様な様をさらけ出していきたい。僕のブログは、普通のブログじゃない。僕の魂の叫びなのだ。僕の人生劇場。


こんなブログですが、よかったらまた読んでください(結局、ブログって言ってるし!)。


理想の生活

自慢じゃないが、うちは貧乏である。


僕の周りでも、「オレも生活大変だわー」とか「別に贅沢したいなんて思わないな!」なんてことを言う人がいるが、本当の貧乏を舐めないで欲しい。あんたらが「普通」と思っていること、普通にしていること、普通に買っているもの、それらがオレら貧乏人にはできないんだよぉぉぉぉぉお!


とりま、できればこのくらいのことはしたい!ということを列挙してみた。


〃遒飽貪戮楼みに行く(予算月1万円)


1日に一回コンビニでドリンクを買う(予算月3千円)


3憤促好泪曚犬磴覆、普通のキャリアのスマホを使う(予算月1万円)


ぜ駝(僕の場合、骨董)に投資する(予算月1万円)


Spotifyのプレミアム会員になる(予算月千円)


λ萋家でビールを飲む(予算月3千円)


Г修梁勝∋費(予算月5千円)


こんなところか。上記7項目のうち、3項目以上当てはまってるという人は、贅沢もんだ。このうち、´↓きΝГ亡悗靴討蓮∨莊遒海譴世韻良囘戮任海譴世瓜箸Δ海箸呂覆い掘↓Δ亡悗靴討浪鳩廚ら出して欲しいから、´↓きГ1万5千円ほどあればいい。も家計から出してもらうから、こうして書き出してみると、月の小遣いが3万円もあれば、十分充実した日々が過ごせることになる。ちなみに、今の僕の小遣いは2万円で、この小遣いから、飲み会代、ビール代、散髪代、服代(靴、鞄など含む)などすべて遣り繰りしている。よく、サラリーマンの小遣いは3万円が一般的などというか、その3万円に何が含まれるか?による。3万円もらっていても、お昼ご飯代を小遣いから出している人もいれば、昼はお弁当という人もいるだろうし、飲み会代は小遣いの範囲内でという人もいれば、小遣いとは別で嫁さんからもらっている人もいる。要は、その小遣いで、どこまで自由に使えるか?が問題なのである。


あと年収が手取りで50万増えれば、少しは楽になるのだが。



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