うつ日記、後悔

10月2日、晴れ。


今日もうつである。と言いたいところだが、かなり、調子がよくなってきた。まだ、本調子ではないが、心がだいぶ軽くなった。躁うつ病の人であればわかると思うが、うつから復活すると、本当に気持ちが軽くなるのがわかる。しかし、せっかくなので、うつの時に僕がどんなことを考えていたかを書きたいと思う。


僕はこれまでの人生であまり後悔はしていないが、ひとつだけ後悔していることがある。輸入家具の会社、インターオフィスを辞めたことだ。以前、僕はインテリアメーカーで営業をしていた。営業先の百貨店で、カッシーナやアルフレックスの家具と出会った。世の中にこんなかっこいい家具があるのかと、衝撃的だった。それから、「室内」や「カーサブルータス」などの雑誌を読み漁った。次第に輸入家具を扱う仕事をしたいと思うようになり、カッシーナやアルフレックスの求人に応募した。残念ながら、いずれも最終面接まで残ったものの、採用には至らなかった。僕は、インターオフィスに求人の問い合わせメールを送った。すると、なんと近々、大阪支店で営業を募集するという返事が返ってきた。それから、僕はインターオフィスのホームページの採用情報を毎日チェックした。そして、メールの返事の通り、大阪支店での採用情報が掲載されると、すぐに履歴書を送った。面接の時、あまりにも履歴書が届いたのが早くて驚いたと、当時の支店長が語っていたのを覚えている。


インターオフィスは、最高の職場だった。輸入のオフィス家具を扱っていたので、オフィスはめちゃくちゃオシャレだった。仕事もとても楽しかった。しかし、仕事はハードで、最終電車まで仕事することも度々だった。深夜にタクシーで帰ったり、会社に泊まることもあった。土日は納品で休めなかった。代休など取れるはずもなかった。そして、僕はうつになり、2ヶ月休職した。復職した時、僕はかなり元気になっていた。しかし、おそらくこの時すでに、僕は双極性障害になっていたのだろう。がむしゃらに働くのが馬鹿馬鹿しくなっていた。仕事をセーブするようになって、営業成績も落ちていった。しかし、躁の症状が出ていたのだろう、僕は、会社や上司に反感を持つようになった。自分はもっと評価されていいはずだ、この会社で働いている人はロクな人がいないなどと考えた。



そして、僕はついにインターオフィスを辞めた。



あれほど憧れていた輸入家具の仕事を自ら手放した。



未だに、なぜ辞めてしまったのか?、もし続けていたら?という後悔の念が心を支配する。


しかし、もうあの時に戻ることはできない。今が充実していれば良いのだが、今が苦しいだけに、更に後悔の念が心を締め付ける。


もうあの時に戻ることはできない。


うつ日記、6年前

10月1日、晴れ。


今日もうつ。

今日は、創立記念日で仕事が休みだった。ドンキホーテに行くと、消費税が上がるということで休みだった。午後から、病院にCT検査を受けに行く。


2013年の今頃、僕は甲状腺がんの手術で入院していた。10時間にも及ぶ手術で、2ヶ月半の入院。当時は気管切開をしていて、声帯の神経が麻痺していたので、ほとんど声が出なかった。甲状腺がんの中でも悪性度が高く、極めて再発、転移の可能性が高いと言われた。10年生存率は60%だった。声帯の神経も、半年経って声帯が動かなければ、一生気管切開をしたままで、声に障害が残ると言われた。


退院は、なんの運命の悪戯か、父親の危篤の知らせを聞いて、無理矢理退院させてもらった。退院した2週間後に父は還らぬ人となった。不思議と涙はまったく出なかった。


退院した時、周りの世界がキラキラして見えたのを覚えている。青い空、風の匂い、木々のざわめく音。生きているということを実感した。生きてさえいればそれでいい、できれば、声帯も元に戻って欲しいと願った。


僕の声帯は、動くことはなかった。せめて気管切開だけでも閉じたくて、情報を集めた。ネットで調べた耳鼻咽喉科にメールして、丁寧に相談にのってくれる先生もいた。そして、関西で唯一、声門開大術という気管切開を閉じる先生がいる大阪病院の存在を知った。2回失敗して、3回目の手術でようやく成功し、僕は念願の気管切開閉鎖に成功した。わずか1年の間に、僕は全身麻酔を5回も経験した。


6年経って、おかげさまで再発も転移もない。声もだいぶ出るようになった。当時、生きてさえいればと思っていたのに、今はもっと幸せになりたいと願っている。人間は欲深いなぁ。


今日のCT検査は12540円もかかった。相変わらず、病人や障害者に厳しい社会だ。この医療費に軽減税率は適用されているのだろうか。


うつ日記、きっかけ

9月30日。晴れ。


今日もうつである。

うつになったきっかけは、製造部への異動だった。もともと所属していた商品部の仕事にはやりがいを感じていたし、正直、製造部への異動はショックだった。製造部への異動の理由をはっきり教えてくれなかったことや(表向きは、不具合をなくすためとのことだったが、実際には一作業員としての仕事だった)、辞令が出る1時間前に異動の連絡が来たことなどもショックだった。


うちの会社では、各部署で使えないと判断された人、社内で問題を起こした人などが製造部へ異動させられる傾向がある。僕もそのひとりだった。製造部の上司は、腐らずに頑張れと言った。だが、なかなか気持ちを切り替えられない。


うつな気分に耐えられず、図書館で自己啓発系の本を借りた。アマゾンでの評価も高い本だった。今の自分を受け入れること、自分を認めた上でプラス思考で考えることで人生が好転することなど、なかなかいいことが書かれているが、まったく入ってこない。普通の精神状態であれば、なるほど!となりそうな感じだが、うつの時はどうしても前向きに考えられない。


しかし、ユニバのCMのうざさが、うつに拍車をかける。


長いトンネル

うつから脱却できない。


うつ病になってから10年以上、双極性障害と診断されて5年、今の会社に入ってからは、たまに、うつになっても比較的軽度で、1日2日で治っていたのだが、今回は長引いている。


基本的に、これまでは、うつの時はブログを書かないようにしてきた。書かないというか書けないというか。書く気分になれないということもあるし、書けても内容がかなりネガティブになるので、読んでいる人もいい気はしないだろうという思いがあった。


正直、今、書いているのもつらい。なにもかもマイナスに考えてしまうし、後悔や自己嫌悪など、自分で自分をどんどん追い込んでしまう。


でも、あえてこのうつの状況をブログで書いてみようと思った。ちょっといろいろなことがあって、このうつな感じはしばらく続きそうなので、書き続けてみる。


うつでした

久しぶりにうつになった。


昨日のブログ読んでくれた人は、「なんだ、この重い内容は、、、」と思われたかもしれないが、久々に苦しかった。まあ、双極性障害の場合、どちらかと言えば、普段は躁な感じで、たまに軽いうつが来る感じなのだが、今回は、自分でも、これはヤバいなと思った。


うつ歴は、もう10年以上になるが、未だに躁の時もうつの時も感情をコントロールすることができない。「あ、今、うつだな」ってのはわかるんだけど、うつだから気持ちを前向きに持っていこう!などと簡単に思えない。自分がしんどいだけならよいが、うつの時も躁の時も、家族などまわりの人に嫌な思いをさせるのが厄介だ。風邪なんかだと、大丈夫?と心配してくれるもんだが、うつの時は、まわりもどう対処していいかわからないのだろう。だから、僕はうつの時は、なるべく家族も含めて誰とも顔を合わせないようにするのだが、それはそれでまわりに気を使わせてしまう。


僕の知り合いで同じうつ病になった人がいて、その人がうつのせいで友達をなくしたと言っていたが、とてもよくわかる。この病気は、体調も悪くなるが性格も悪くなるというか、めんどくさい人間になってしまうので、だんだんと人が離れていく。躁うつの場合は、さらにタチが悪い。躁の時は気が大きくなって、まわりが引くくらい元気なくせに、うつになるとひどく落ち込むので、まわりの人からすれば、「なんなんだよ!」という感じだろう。


特に、嫁さんはかなりしんどいと思う。たまに、心療内科で「うつ病患者の家族の会」みたいなのが開催されているが、うちの嫁さんにも本気で参加して欲しいと思っている。


<< | 2/122PAGES | >>

ブログランキング参加中!

categories

archives

recent comment

others