10連休日記7日目

ブログを書いてて、もう10連休7日目か!、ってなる。休みの日は時間が経つのが早い。

昨日から和歌山ひとり旅を敢行している我輩であるが、矢部さん宅でお酒を嗜んでいるうちに、気付いたら寝てしまっていた。最近、お酒にはめっぽう弱くなって、特にワインを飲むと寝てしまう。22時過ぎに矢部さん宅を出て、近所の空き地にテントを張る。矢部さんが空き地まで送りに来てくれた。寝袋で寝るも、テント下の石が当たって痛いのと、寒さで眠れない。実は最近、睡眠障害で眠たいのに眠れない日が続いている。今、何時だ?と時計を見たのが2時半。寝ていたのか、起きていたのかもわからない。朝4時には耐えられなくなって、眠れないなら、道が空いてるうちに帰ろうと思い立ち、さっさとテントを片付けて帰路についた。

往復10時間の運転。運転中にいろいろなことを考えた。病気のこと、家族のこと、仕事のこと。考えれば考えるほど、反省と後悔しかない人生。なぜ、あの時会社を辞めたのだろう?、なぜ、あの時嫁さんにあんなことを言ったのだろう?、なぜ、あの時・・・。

病気になって、生活が苦しくなって、僕は自分の運命を呪った。でも、考えれば考えるほど、すべて自分の行いの責任だったと思い知らされる。自分に甘く、いつも誰かの責任にして、自分の弱さから自ら不幸を招いた。病気になったのも、バチが当たったのだろう。思い起こせば、いくつかのターニングポイントがあった。うつ病になった時、インターオフィスを辞めた時、甲状腺がんになった時だ。

僕は33歳の時、念願のインターオフィスに転職した。そこは、まさに自分の希望の職場だった。やりたい事を、自分の好きな環境で、やりがいを感じながら仕事をすることができた。しかし、仕事は激務だった。残業は月に100時間を超え、休日出勤もしばしばだった。そして僕はうつになった。当時、支店長は、「家を買ったプレッシャーではないか?」と言っていたが、明らかに働きすぎだった。心療内科の先生からも、働きすぎが原因だと言われた。当時の支店長の言葉と、残業の多い会社の体質に反感を覚えるようになった。次第に僕は転職を考えるようになった。これは、僕がただのうつではなく、双極性障害だったことも大きく関係している。僕は覚えていないのだけれど、インターオフィスを辞める際、「僕はこんな給料しかもらえないはずはない」みたいなことを言ったと、後に支店長から聞いた。これが事実だとすれば、明らかに躁の症状だ。おそらく、この時にすでに双極性障害になっており、医師からそのような診断をされていれば、転職を思い留まっていたかもしれない。嫁さんに相談した時も、嫁さんは転職に反対しなかった。反対しなかったどころか、「嫁さんが望むなら転職してもいい」と言ったことを覚えている。僕は、自分の決断を、自分の責任の元に決めることができず、支店長や病気や病院の先生や嫁さんに責任を転嫁した。甲状腺がんになり、音声障害から工場勤務になった時もそうだった。僕は病気のせいで工場勤務になったと思っていたが、実際は違っていた。僕の営業成績は悪かった。病気になっていてもいなくても、おそらく僕の製造部異動は変わらなかっただろう。僕が病気になったのは、ある意味僕にとって「都合がよかった」。言い訳ができたから。また、それ以上にタチが悪いのが、僕は病気になって卑屈になった。なんで自分だけがという思いや、病気になった自分を憐れんで欲しいという思い、病気と闘い、障害を乗り越えて新たな人生を歩めるよう、前を向いて進むことをしてこなかった。

今からでも人生をやり直したいという気持ちはある。でも、無理だろうなと思う。双極性障害は治らないと言われているし、性格も今更、変えられない。悪いことはわかっているが、もうどうしようもない。

そんなことを考えながら、ハンドルを握っていた。


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