人生の平均

僕が以前勤めていた会社でお世話になっていたC社のOさんと久しぶりに会って話をした。

以前の仕事は、オフィスの提案をする仕事で、自社でデザインした空間のパースをOさんにお願いしていた。Oさんはグラフィックに長けていて、こちらの無理難題を快く受けてくれ、毎回こちらの想像を超える仕上がりだった。

当時はお互い夜遅くまで仕事をしていて、夜中にお互いひとりオフィスに残って電話で打合せをしたりして、同じ釜の飯を食った仲ではないが、まるで戦友のような間柄である。僕といっしょでOさんもうつ病経験者で、お互いの苦労を分かち合える仲でもある。

Oさんが心療内科の先生から聞いた話では、うつ病も現代病だと言う。今の世の中は便利になり過ぎて、一億総中流社会だ。分譲マンションに住み、ミニバンに乗り、スマホを持って、家に帰るとルンバが掃除をしてくれている。情報が多すぎて、テレビやネットで「平均的な暮らし」がどういうものか嫌でも分かる。そもそも、僕らは産まれた時から、この「平均」に惑わされている。産まれた時の体重が「平均」と比べてどうか、「平均」では何才から言葉を発するようになるのか、学校に行けば「平均点」があり、社会に出れば「平均年収」が嫌でも耳に入る。僕らは、自分が「平均」より下だと知ると、自分は劣っていると感じるらしい。

昔は、みんなが1日1日を生きることで精一杯だった。しかし、今ではニートでも引きこもりでも普通に暮らしていける。中途半端な「平気的」な豊かさが、僕らの心から豊かさを奪う。

特に家族がいると、家族には「平均」以上の暮らしをさせたいと思う。これは、子供たちに、自分は「平均」以上であると思わせたいという感情に他ならない。

「平均」自体が何の意味もないことを、「平均」以上であることが決して豊かな人生でないことを僕らは早く気付くべきだ。


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