低分化型

大学病院へ。

先日のエコー検査でリンパ節への転移が疑われて、ネットでいろいろ調べていたが、やはり大阪警察病院へ転院したいと思い、相談に行ってきた。

先生の話では、やはり手術をした病院で、これまでのデータを持っている病院で診てもらったほうがいいと、紹介状だけで今の段階で転院するのはリスクがあるとのことだった。

僕自身、転院すべきかどうか悩んでいたので、とりあえず7月の検査結果が出るまでじっくり考えてみることにした。

僕のように甲状腺を全摘出し、リンパ節郭清をしている場合はアイソトープ治療をするのが一般的だが、僕の場合はアイソトープ治療を勧められなかったので、その理由も聞いてみたが、サイログロブリン(腫瘍マーカーですね)の値が低いので必要ないとのことだった。

とりあえず納得したのだが、今日初めて自分が甲状腺乳頭がんの低分化型であることを知った。

乳頭がんは10年生存率90%以上と言われ、予後は極めてよいと言われているが、低分化型となると話が違う。低分化型の5年生存率は56%(おー、5年生きれてる!)。甲状腺がんのわずか2%で、極めて事例が少ない為、明確な治療法が確立していないらしい。

正直面食らったが、とにかくジタバタしても始まらない。できることは、どんどんやるしかない。みたい。まあ、低分化型ということがわかったので、これまで納得いかなかった大学病院の治療にも、少し納得がいった。しかし、なんで言ってくれなかったかなー!、低分化型だってことを。まあ、ネットで調べまくったところ、細胞診でも低分化型と判断するのは難しいらしい。

今、自分にできることは、目の前の治療をきちんとやっていくこと、一日一日を大切に生きていくこと。

それしかない!

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心療内科へ

今日は、心療内科へ。

大学病院で検査したり、心療内科へ行ったり、全くもって忙しい。

心療内科は月に一度通院している。最近は調子が良かったが、ゴールデンウィークあたりから鬱の症状が出ていたので、先生に話をする。4月に異動があったので、環境の変化で五月病みたいになっているのでは?とのことだった。あと、瞬きが多いことと物忘れが多いことも相談する。瞬きは緊張状態が続いているらしく、頓服を処方してもらう。物忘れが多いのは、鬱の症状として、ひとつのことにしか集中できないということがあるらしく、例えばテレビを見ている時に話かけられたりすると記憶が曖昧になるらしい。

それと、もう一つ。甲状腺の病気のことで、大阪警察病院に相談してみた。大阪警察病院は、あの河内家菊水丸を救ったことで有名で、甲状腺がんの治療でよい成績を上げている。一度今通院している病院に紹介状を書いてもらい、大阪警察病院で治療が可能であるならば受け入れてくれるらしい。喜ばしい話だが、もし大阪警察病院でも治療できないため受け入れてもらえなかったらどうしよう?という不安もある。

大阪警察病院には鳥先生という名医がいて、なんとかいい方向に向かって欲しいと思う。

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素晴らしき人生

先日の検査の結果は、正直ショックだった。まだ、転移したと決まったわけではないけれど、順調に来ていて自分が病気であることなど忘れかけていたから、一気に現実に戻された気分だ。

家に帰ってすぐにいろいろ調べた。甲状腺がん、リンパ転移、予後・・・。しかし、これまで十分すぎるくらい調べてきたから、参考になる情報はなかった。藁にもすがる思いで、甲状腺がん患者さんの掲示板に書き込みをした。

そしたら、59歳の男性の方から書き込みがあった。その方は40代半ばで甲状腺がんになり、肺に転移してアイソトープ治療や抗がん剤治療も続けながら闘病されていて、病気に前向きに向き合っていらした。まだまだ、できることはありますよと。今は病気とうまく付き合いながら過ごしてますと。

掲示板には、いろんな症状の人がいた。僕は悪性度の高いほうなので、ほとんどの人は、僕より症状が軽いものだったが、肺や骨に転移し、それでも前向きに、ひたむきに病気と向き合っている人もいた。

落ち込んでいても、病気が治るわけではない。僕も病気と向かいあおう。ただ一日一日を大切に生きる。人生は戦闘ゲームのようなものだ。勉強や仕事や病気など、戦いの連続だ。戦う相手は手強いほどゲームはおもしろい。僕の前には、大きな壁がそそり立っている。こんな壁乗り越えられるわけがないと落胆していたが、よく見ると、手や足を掛けれるところがある。上からロープを垂らしてくれている人がいる。周りには、僕を黙って見守ってくれてる人がいる。乗り越えるのだ、この壁を。

応援してくれなくてもいいです。ただ、僕の生き様を見ていてください。地位も名誉もないけれど、少しでも多くの人の希望になれるように。少しでも多くの人の力になれるように。そう、子どもたちのためにも。

僕は生き抜く。この素晴らしき人生を。


検査

今日は、甲状腺がんの半年振りの検査だった。

退院してすぐの頃は、毎月診察に行き、検査も3ヶ月おきに血液検査、エコー検査、CT検査など大袈裟なものだったが、最近は半年に一度しか検査はしない。最初に病気が発覚した時は、かなり進行していて、再発や転移の可能性が高いと医者から言われていたのだが、すでに退院して5年、健康に過ごせている。

今日は、エコー検査だったが、なんとなく嫌な予感がした。そして僕の嫌な予感はよく当たる。

検査の後の診察で、リンパに異常が見られると言われる。ただ、それが転移なのか今ははっきりとは分からないと。先生がいろいろと説明してくれたが、頭が真っ白になって先生の話は入ってこなかった。ただ、リンパに転移の可能性があること、今の時点でははっきりわからないので、しばらく検査を繰り返して様子を見ること、もし転移していれば手術はせずにアイソトープ治療か抗がん剤治療をすること、そんな内容だった。

アイソトープ?、抗がん剤?。僕の知る限り、アイソトープは肺転移した時に適用されるはずだ。抗がん剤治療は、甲状腺がんでは効果はないと聞いている。僕の身体はどうなってるの?これから、どうなってしまうの?

まだ、転移したと決まったわけではない。しかし、転移していたとしたら、それは少し深刻なことになる可能性も僕は知っている。

やっと、仕事もやりたいことができるようになったのに。こんな時にくたばってはいられない。先のことは考えず今を精一杯生きよう。万が一転移しても、病気に勝って、同じ病気に悩む人にの希望になろう。

次の検査は7月31日。夏の暑い日差しが肌をさす時期に、次の審判が下る。


賢者の書(ネタバレ)迷える人へ

僕は双極性障害という病気を患っているのだが、これがなかなかに厄介である。

所謂、躁と鬱を繰り返す病気なのだが、躁の時は暴力的な言葉を吐きそうになり、鬱の時は死にたくなるほど落ち込んでしまう。今は薬を飲んで心の調整をしているのだが、久しぶりに鬱の波が来た。普通は、しばらくすれば治るのだが、今回は落ち込みがひどかったので、アマゾンで自己啓発系の本を検索して図書館に駆け込んだ。僕は自分がひどく落ち込んだ時は、本に救いを求めている。僕が選んだのは喜多川泰さんという方の本で、賢者の書という本だ。これまで読んできた自己啓発系の本と同じような内容だったけど、なかなかうまくまとまっていたので、ここに記したい。


第一の賢者の教え

行動の結果として手に入れるものは成功でも失敗でもない。人生というパズルを完成させる為の経験という1ピースに過ぎない。


第二の賢者の教え

人には誰しも、心という無限の可能性がある。無限の可能性が自分にもあるということを自覚することが成功につながる。


第三の賢者の教え

人生を素晴らしいものにするには、自尊心を高めなければならない。しかし同じように、全ての他人を尊重すること、他尊心も高めなければならない。


第四の賢者の教え

何になるかを目標にしても成功を収めることはできない。大切なのはどんな人間になりたいかである。


第五の賢者の教え

過去を憂いたり、未来を悲観してはいけない。今日という貴重な一日を成功者としてふさわしく過ごさなければならない。


第六の賢者の教え

投資をすることで成功は手に入る。しかしお金を投資するのではなく、時間という貴重な財産を投資しなければならない。


第七の賢者の教え

自分を幸せにしてくれるものを探してはいけない。他人を幸せにすることを探す人にとって、この世は喜びに満ちた場所となる。


第八の賢者の教え

人生は言葉によって作られる。今の自分が成功している、幸せを手に入れることができると認める言葉を自らに言い聞かせることによって成功が手に入る。


最後の賢者の教え

誰一人として一人で生きていくことはできない。自分と出会うすべての人や出来事に対して感謝しなければならない。そして、手に入れたいと思うのではなく、与える側にならなければならない。人は何度でも生まれ変わることができる。自らの人生を素晴らしいものにするために生まれ変わろとする時に他人がどう思うかなど気にする必要はない。


実際に、この通り行動することは難しい。どうしても、過去を後悔し、過ちを悔やみ、未来を悲観し、人と比べて虚しさを感じてしまう。けれど、それら全てを受け入れて、正しい人になりたいと思う。

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(再掲)自宅療養

待ちに待った退院だった。

しかし思っていたほど天国ではなかった。病院はやることも無く味気ないし、食事もおいしくない。しかし、やはり治療と言う意味では完璧だ。これまでは看護師さんがすべて管理してくれていたが、自宅に帰れば全ての管理を家族でやっていかなければならない。

一番大変なのは食事だ。食べれると思ってむせ返ることもしばしばだ。まさに妻と2人3脚で探りながらメニューを考えている。

理由は分からないが、顔もむくんできた。

病気との闘いは、まだまだ終わったわけではない。


(再掲)退院

ついに退院の日が決まった。これまた急なのだが、明日だ。
退院に際して、先生からの説明と栄養士さんからの説明があった。
いままで何度か聞かされていたが、僕の声帯は右側は癌といっしょに神経を切除したので機能していない。問題は左側の声帯だ。左側も癌が声帯の神経のギリギリまで来ていたので、なんとか神経は残すことができたが、現在は左側の声帯も動いていない。そのため、空気が通るスペースが非常に狭くなっている。現在は気管切開をして呼吸をしているが、左側の声帯が動くようにしなければ一生気管切開をしたままになるとのことだった。
それと栄養士さんからは、今後の食事について話を聞いた。自分はてっきり、普通に食事ができるまでに、どのような調理法で、どのようなものを食べればよいか、という話だと思ったが、現実はもっと厳しかった。
もう、普通の食事はできないらしい。まったくできない訳ではないが、例えばラーメンなどの麺類は、もう食べることができない。
これは、僕にとって、かなりのショックだった。
戦いはもう終わった訳ではない。甲状腺の癌は10年経過を見て、再発しなければ、そこでようやく完治となる。もし再発すれば、また、そこから10年。道程は長い。


(再掲)外出許可

昨日は外出許可を頂いて、8週間ぶりに自宅に戻った。かなり楽しみにしていたのだが、当日になって7度7分の熱。外出可能か微妙だったが、無理をしない、早めに帰ってくるということで、なんとか許可がもらえた。
外出して、いきなりの壁にぶつかった。足がフラついて、うまく歩けない。一歩一歩足下を確かめるように歩く。
自宅までの道すがら、懐かしい風景が流れる。が、不思議とあまり懐かしいとは感じなかった。
自宅に着くと、さっそく用事を済ませる為に2Fへ上がった。ここで2回目のアクシデント。手すりを使わないと、階段が上れない。今回の仕事は、何度も階段を上り下りしないといけないので辛かった。少し大きい荷物は嫁さんに手伝ってもらった。
そのうち子ども達が帰ってきた。子ども達もパパが帰ってくるのを楽しみにしていたようだが、なにせ声が出ないんで、何を話すでもなく、子ども達も遊びに行ってしまった。
それから病院にまた戻って、念のために熱を測ると6度5分に下がっていた。
ところが疲れているだろうと、早めに寝たにもかかわらず、翌日は疲れが出たのか、8度8分の高熱で、再び寝たきりとなってしまった。


(再掲)回復

ここに来て、かなり回復してきた。
まず、食事の形態が変わった。これまでは飲み込むことができなかった為にペースト状の食事だったが、一段階上がって、ご飯はお粥に、おかずもちゃんとしたおかずになった。味はイマイチだが、普通の食事が出来ているだけて十分嬉しい。
それと、水が飲めるようになった。これまでは飲めば必ずむせていたのだが、今は、少し気を使わないといけないが、ほぼ、飲むことができる。
この、食事の形態の変化と、水が飲めるということは実は非常に大きい。なぜなら、今までこれができなかった為に直接胃にチューブを通して薬などを投与していたので、そのチューブを抜くことができるからだ。
逆に言えば、どこかで失敗すると、また、やり直しになる。
あと一週間ほどで退院と言われている。最後まで頑張りたい。


(再掲)御見舞

先週あたりから、お見舞いに来てくださる方が増えた。もう少し前から、見舞いに行きたい旨のメールなどを頂戴していたのだが、その頃はまだ声が出なかったのでお断りしていた。
と言っても、お見舞いに来てくださる方は非常に少ない。もともと、自分が入院するということは、ほとんどの人に告知していなかった。わざわざ言う必要もないと思ったし、みんなに告知して、お見舞いに来てもらえないのではないか、と考えた。
今のところ、自分から告知した人はほとんど来てくださっている。
本当にありがたいと思う。


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