ロングテール


ロングテールっていう本を読んだ。

下のグラフで左のほうで上に伸びてるところが、いわゆるヒット商品。それに対して、右のほうに伸びてる、たいして売れていない多くの商品のことをロングテールという。

例えばベストセラーの本だとか、ミリオンセラーの曲なんかは、実際に発売されている(自費出版やインディーズも含めて)本やCDのわずか数パーセントに過ぎない。一昔前までは、本やCDはお店で買うものだった。お店は規模の大小はあれど、棚数には限りがあるから、売れる商品を優先的に置く。実際には店頭にも並ばない作品は山ほどあった。ところが今はインターネットの普及でわざわざお店で買う必要はなくなった。今は音楽はiTunesで好きなだけダウンロードできるし、本もKindleで買うことができる。これまでは在庫の心配をしなければならなかったが、データを売るから在庫の心配もない。僕自身、本はAmazonでレビューを参考に読んでるし、音楽もSpotifyが好みの音楽を流してくれる。ホントに便利な世の中になったものだ。

しかし気をつけないといけないのは、あくまでこの本はビジネスについて書かれているということ。確かにネットでこれまで以上に多くの情報を享受することができるようになったが、リアルではないのだ。この前参加したDesigning Humanityでもシンギュラリティの話が出ていたけど、AIがお袋の味を完璧に再現できるようになっても、それは、決してお袋の味とは言えないだろうみたいな話があった。僕らが得ることができるようになったのは情報でしかない。体験は別の話。でもホントに大切なのは、体験だ。体験ということとは少し違うけれど、例えば家族やペットと過ごす時間は、いくらインターネットやAIが発達しても、それに変わるものにはなり得ない。

デジタルに流されてはいけない。これからは、それぞれがアナログとデジタルを見極めていかないといけないんじゃないかな。



東京タワー(ネタばれ)

リリーフランキーが好きだ。
厳密にいうと、中島らもとみうらじゅんとリリーフランキーに僕は影響を受け、憧れを持っている。
「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」。言わずと知れたリリーフランキーのベストセラーだが、これまで読みたいと思わなかった。話題になったこともあり、なんとなく推測できるストーリーが、僕の憧れるリリーフランキーのイメージと違っていて、読む機会がなかったのだ。僕の中のリリーフランキーのイメージは、「ミラクルタイプ」で下ネタを言うリリーさんだった。
先日、1週間ほど入院することになって、なんとなくこの本を借りた。おそらくこんな機会がなければ読まなかっただろう。
「なるほど、リリーさんはこんな少年時代を送っていたのね」などと考えながら読み進めていくと、あるページで固まってしまった。リリーフランキーのオカンが甲状腺がんを告知されるシーン。自分と同じ病気。しかも声帯にまで影響を与えているあたりも同じだ。そこからは、小説の内容などどうでもよかった。「オカン」が死んでしまうであろうことは予測できたから、発病してから、死んでしまうまでの過程が気になって仕方ない。
結局は甲状腺がんと関係なく、胃がんで亡くなられるのだが、自分のこれからと比較せずにはいられない。しかも入院中に、自分と同じ病気とは。なんたる運命の悪戯。
普通に読めば感動する話なんだろうけど。


ロスジェネの逆襲(ネタばれ)

「やられたらやり返す。倍返しだ!」
という決め台詞で話題になった半沢直樹くん。おそらく、あの中途半端な最終回の続きがこれになるんだろうな〜というのが本作。ちなみに僕は世間が半沢直樹で浮かれているず〜と前から池井戸潤のファンだ(言っとくけど)。
さて、本作。池井戸潤の銀行ネタがちょっとしつこくて、どちらかと言えば「下町ロケット」なんかのほうが好きだが、まあ、期待は裏切らない出来栄えであった。
話は変わるが、僕は社会人になった時、とにかく出世したかった。小さいころから何をやってもダメで、学生時代までダメ夫で過ごした僕は、とにかく出世にこだわった。簡単に言うと見返してやりたかったのだ。輸入家具の会社に転職するまではよかった。その後は、うつ病になって、給料激減、その後転職を繰り返すもいわゆる転職貧乏に。そして昨年息の根を止めるかのように甲状腺がんを患い、またもや給料激減。さらに追い打ちをかけるように声帯麻痺に。ああ、What a wonderful world我が人生、これこそLa vie en rose。本書いたら売れるだろうな的波乱万丈人生。
そんな、僕に一石を投じてくれたセリフがあった。
「すべての働く人は、自分を必要としてくれる場所にいて、そこで活躍するのが一番幸せなんだ。会社の大小なんて関係がない。知名度も。オレたちが追及すべきは看板じゃなく、中味だ。」
ハッ!確かにそうだ。周りからどう見られているかなんて関係ないんだ!
さすが半沢くん、いいこと言うわ〜。
でも半沢君、君最終的に銀行戻って次長になってるやんか〜い!


1リットルの涙

「脊髄小脳変性症」という、運動をつかさどる神経が変化し、ついには無くなってしまうという難病を抱えた15歳の少女、亜也さんの日記を、そのお母さんがまとめたもの。亜也さんが14歳からペンを持てなくなる20歳までの間に書き続けた日記は46冊にも及ぶ。
「生きていることに悩んでいるすべての人々にこの本を読ませたい。」
「亜也ちゃん、あなたの魂の言葉が、きっときっと読む人すべてを救うよ」
この本に寄せられた言葉だ。
こういう言い方はよくないかもしれないが、実際の亜也さんの苦しみは相当なもののはずで、こんな簡単な言葉で片付けられるものではないと思う。確かに、重篤な病気と障害に前向きに向かい合う亜也さんの姿勢には共感するものがある。しかし、その裏にある苦しみは計り知れないものがあるはずだ。
亜也さんとは比べ物にならないが、自分も簡単ではない病気になって、軽い障害を持つようになって、周りの人には心配をかけて応援してくれることは本当にありがたいし、当然のことながら、家族の存在は常に自分を勇気づけてくれている。
しかし、この苦しみは誰にも理解されることはなく、最後は自分で解決していくしかない。そんな時、僕はいつも本を読むことにしていて、最近は自然と闘病記的な本を読むことが多くなった。
とにかく今は、すがるように自分を助けてくれる本を読み漁っている。


余命半年から生きてます!

表題を見て「えっ!!」と思った方がいらっしゃれば、すみません。
これ、本の題名です。僕のことじゃありません。
咽頭がんで余命半年と宣告され、おまけに妻が統合失調症で記憶喪失、さらには息子が学習障害児という、本のサブタイトル通り、面白いほど不運な著者の闘病記。
面白おかしく伝えようとしてはいるものの、抗がん剤治療のくだりなどは、痛々しいものがある。この本の中で、著者が余命宣告され、生への執着をなくしたときに、社長から「君は、もがいてない!」と言われたというくだりが心にしみた。病気で苦しんで、もがいている人はたくさんいる。自分は、もっともがかないといけないと。
僕の話をします。昨年の8月に手術を受けた。おかげさまで手術は成功したが、いつ再発、転移するかも分からない病気。しかも病気の後遺症で声帯が動かなくなり、気管切開をして、まともに喋ることができない。仕事は営業だったが、さすがに営業はできないので、工場勤務に異動になり、給料が大幅に減った(大きな声では言えないが、新卒程度)。おまけに持病の躁うつ病の鬱の山がやってきて、気分的にも大きく落ち込んだ。躁うつ病の上に大きな病気を抱えて、給料が下がったために生活が苦しくなり、追い込まれた妻の顔からは笑顔が消えた。昔からついていない人生だった。今回の病気でも、同じ病気で自分のように進行性が高い人は全体の10%。その一部の人が声帯が動かなくなるが、ほとんどの人は声帯は回復する。まれに、声帯の回復しない人がいる。その、まれな人になってしまった。高校の友人で社長を務めている親友がいる。彼は男前で、スポーツ万能。高校のころからモテていた。自分とは真逆な人。でも、彼が言っていた。「なんでお前には次々に大変なことが起こるんやろうと思ってた。でもな、それを乗り越えていくお前を見て、俺はいつも勇気づけられてここまで来れたんや」。
こんな自分でも、少しは人の役に立っているらしい。


 

この話、続けてもいいですか。

抱腹絶倒というと死語だろうか。
小説家、西加奈子さんのエッセイだが、私生活の西さんは、僕がこれまで読んだ西さんの作品からはとても想像できないような、破天荒なお人であった。とても切ない家族の物語である「さくら」や、田舎暮らしをする「ムコさん」と「ツマ」の夫婦愛を描き、映画化もされた「きいろいゾウ」(ちなみに映画化された「ツマ」役の宮崎あおいはいいとして、「ムコさん」役の向井理は、小説のイメージとまったく違い、納得していない)などの小説から浮かび上がる、「おそらく、すごい繊細な作家さんやろなあ」という思いは、このエッセイを読んで打ち砕かれてしまう。
もともと大阪の方だから、関西弁はよしとしても、最初は「ははは、この人、大阪人丸出しやなあ」と笑っていられるが、後半になると乗ってきたのか、「ババア!」や「鼻糞!」や「おちんちん!」といった、いくら関西人とはいえ嫁入り前のうら若き乙女が使うとは思えない主に下系のお下劣なお言葉の乱射が始まる。
でも、決してそのギャップがおもしろいというわけではなく、1冊のエッセイとして、とてもおもしろく、最近、久しぶりに鬱モード全開だった僕にも、非常に楽しく読めた。
ただし、一言言うとすれば、西加奈子の小説が大好きな方は読まないほうがよい。いや、たぶん、この西加奈子という人は、僕が知ってる小説家の西加奈子さんとは同姓同名の別人なのだ。そうだ、そうに違いない。


きいろいゾウ

「さくら」に続いて読んだ西加奈子さんの2作目。
「さくら」の時もそうだったけど、この作品も、そこに描かれているのは羨ましくなるような温かくて心和む家族の情景だった。それは決して嫌味がなく、例えば親友の結婚式を心から祝う時みたいな晴れ晴れとした感情なんだけど、隣の芝が青く見えるように、非日常的な苦しくて悲しい過去を伴っていたりする。
この作品に登場する主人公のツマであったりムコさんであったり、幸せな田舎暮らしをするアレチさんでさえも、苦悩の中で毎日を自然に生きている。
最終的には、みんな光を見出すのだけれど、読み終えた後にやりきれなさを感じてしまう。「さくら」で自ら命を絶ったお兄ちゃんは、結局報われないし、この小説に登場する、ない姉ちゃんやムコさんの昔の彼女とその夫も、本当に救われたのか微妙だ。ムコさんの日記を読んでしまうツマと、読まれていたことに気付いたムコさんも、なんとなく「まあ、いいか」と言った感じで流されてしまい、スッキリとした終わり方ではなかった。
みんなどこかで苦しんでいるし、辛い過去を持っているし、それでも希望を持って生きているし、西さんの小説はとても現実的なのかもしれないけれど、僕は小説の中では夢を見ていたい。悲しい結末ならば同じ思いで涙を流したいし、ハッピーエンドならいっしょに心から喜びたい。
現実逃避と言われれば確かにそうなんだけど、これまで何度も本を読むことで救われたから、現実と向き合わされるのは少し辛い。


町長選挙

伊良部総合病院の御曹司であり、また神経科医学博士でもある伊良部一郎。
これだけ聞けば、やり手の敏腕ドクターかと思うが、実は小太りの中年オタク系ドクター。甘やかされて育ってきたのか、わがまま言い放題、精神年齢は幼児並みという、なんとも頭の痛い医者である。
注射を打つのが大好きで、どんな患者であっても「とりあえず、一本打っとこうか」、「だいじょうぶ、ただのブドウ糖だから」といった感じで、慣れてくれば、この注射を打つシーンだけで「来た!来た!来た!」と微笑んでしまう。注射を打つ時には看護師の「マユミちゃん」を呼ぶわけだが、このマユミちゃんがミニスカートに胸の谷間をあらわにしたお色気看護師で、伊良部との愛称抜群であるのも面白い。
当然、患者も「大丈夫なのか?」といった反応なのだが(患者も変わり者が多い)、見事に解決するところが痛快で面白い。しかし、実際に伊良部が医者として治したという感じではない。舞台が神経科なので、精神的な病の患者さんが多いのであるが、いわゆる現代病である。うつ病も最近増えてきていると言われているし、最近はSNSの普及でSNS疲れ、なんてこともささやかれている。しかし、伊良部のわがままぶり、人の目を全く気にしないところが、現代人の目を覚まさせてくれるのだ、
うつやSNS疲れでなくても、例えば、家に携帯電話やスマートフォンを忘れてしまって、一日落ち着かない、といった事であれば、思い当たる人は多いのではないか?伊良部は子どもである。小学生とプラモデルを本気で取り合って小学生を泣かせるような人間である。読み進むうちに、伊良部や患者に対して「ありえない」と感じる感情は、実は、今の自分の状況がありえないのではないかと思ってしまう。
パワハラ、セクハラ、体罰・・・。時代が変わったから新しい問題が出てくるのは当然だけど、みんな神経質になりすぎているんじゃないの?ぐふふ。


さくら

主人公の「僕」と、きれいで快活な母さん、静かに家庭を見守る父さん、かっこよくてなんでもできる自慢で憧れの兄ちゃん、べっぴんさんやのにかなり個性的な妹のミキ。そして、犬のサクラ。誰もが羨むような温かい家庭。読んでいても心が温かくなる物語。
不幸は、いとも簡単にやってくる。何の前ぶれもなく、まるで、そうなることが当たり前であるかのように。大好きな人の突然の死、何かのきっかけで急にはじまったイジメ、信頼していた友人の裏切り、突然の病気や事故による寝たきりの生活・・・。昨日までの幸せな生活が、不幸のどん底に落ちてしまうのは、それはそれは簡単なことなのだ。そして最悪の場合は、それは「死」という最悪のエンディングを迎える。
それほど大きなことでなくても、誰もが抱えるような悩みが、この本の中にはちりばめられている。辛い思いをしている人がいっぱいいて、みんな必死に生きているんだけど、その人たちの悩みは解決されたのかどうかも分からないまま物語は進んでいく。
ハッピーエンドはいいかもしれないけれど、実際の人生は辛いことのほうが多い。最後のミキの言葉が胸にしみる。


娼年

石田衣良さんの作品。
「娼夫」と「少年」を足して「娼年」。少年の娼婦としての性生活を描く官能小説ー。と言放ってブログを書き終えたいと思うほど、自分にとっては受け入れがたい作品であった。
リョウという透明なほど普通の大学生が、さまざまな女性(ほとんどが中年)に体を売って、人気娼婦にのし上がっていく。そういう小説だから性描写があるのは当たり前で、登場人物の性癖も正直異常であるから、自分にとっては読んでいる間、口の中に体液がくすぶっているような後味の悪い小説だった。
普通、文庫本だと1週間で1冊くらいのペースで読むが、たったの200ページほどの文庫本なのに2週間もかかってしまった。読む前に、どうしても気が進まない。読んでいても、なんとなくこの先が読みたくない。実は自分は、非常にノーマルな人間なのだと気付かされたほどだ。
アブノーマルが好きな方は、どうぞ。


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