火車

読みたい読みたいと思っていた宮部みゆきの小説をようやく読むことができた。

今回読んでみたのは、「火車」。普段あまりミステリーなど読まないのだけれど、火車とはどういう内容なんだろうと読み進めると、借金で取り立てに追われて、まさに火の車となった二人の女性を描いた小説だった。以外とそのままなのね。ちなみに火車という言葉には、生前に悪業を重ねた罪人の死体を地獄に連れて行く妖怪という意味もあるらしい。

作り上げられた幸せをつかむために、カードローンを繰り返して自己破産する彰子と、親が背負った借金のせいで自分まで取り立てに合い人生を狂わされる喬子。借金で人生を狂わされた二人が歩む悲しい現実。

しかし、これは小説の中だけの話ではない。実際、現実として借金で苦しんでいるたくさんの人がいる。彼らが借金に苦しむのは、本当に彼らだけに責任があるのだろうか?「自分にも100万円の過払金が返って来ました!」などと爽やかに語っているCMを耳にするが、実際、そんな明るいものじゃないだろう。自己破産する時に彰子が弁護士に語った「私、ただ幸せになりたかっただけなのに、、、」という言葉が身に染みる。誰だって、ただ幸せになりたいだけ。別に贅沢をしたい訳じゃない。人が羨むような暮らしがしたい訳じゃない。ただ、普通の生活がしたいだけ。

かく言う我が家も住宅ローンで火の車だ。35歳で35年ローンを組んだから、70歳まで返済が続く。おー、怖っ!


ビロウな話で恐縮です日記

本を選ぶ時はアマゾンでお気に入りの作家やジャンルで検索して、レビューの評価が高いものを図書館で借りるスタイルだが、最近めんどくさくなって、ブクログの「話題の本」を片っ端から借りている。

三浦しをんさんのビロウな話で恐縮です日記。読み始めた時は、ん?ちょっと失敗した?と思ったけれど、読み進めるにしたがって壺にハマった。破天荒でポジティブで痛快!あまりの脳天気な内容にこちらまで元気になる。あの「舟を編む」を書いた同一人物とは思えない。

この前読んだ稲垣えみ子さんの「寂しい生活」がどちらかというと生き方に正面に向かい合う感じでいろいろ考えさせられる内容で、あれはあれでよかったが、三浦さんの場合は稲垣さんと対局で、欲望のままに生きます!という感じ。

一見正反対のお二人のようだが、共通しているのは、人の目を全く気にせず我が道を歩んでいるところ。お二人とも迷いがないのだ。

今までいろんな本を読んで、いろんな本に助けられてきたけど、もし、何かに悩んだりつまずいたりしている人がいれば、「寂しい生活」を読んでからの「ビロウな話では恐縮です日記」を強くオススメします。


寂しい生活

またまたネガティブなタイトルだなぁ、と思われる方もいらっしゃるだろうが、これは稲垣えみ子さんという方の本のタイトルである。

ご存知の方もいらっしゃるだろうが、稲垣えみ子さんは、東日本大震災での福島の原発事故をきっかけに節電生活を始め、遂にはテレビや洗濯機や冷蔵庫など、数々の家電を手放して月々の電気代150円という驚異の生活を実践されているお方である。

独身だからできるんだろー!、とか図書館発言で炎上したりとか、いろいろツッコミどころもあるが、個人的には大変考えさせられる内容であった。

今の世の中大変便利になって、暮らしはよくなっているように感じるが、実は便利になればなるほど、大切なものを失っているのでは?と稲垣さんは言う。それは「必需品」と呼ばれるものを手放すという生活を実践した体験から自ら感じたことで、説得力がある。

冷蔵庫は、食品の「賞味期限」という概念を完全に覆し、買う必要のない食材を蓄えては無駄にする箱と化しているし、エアコンは、四季の感覚を奪って二十四節気どころか四季さえも感じることができなくなった。

大量生産、大量消費の時代になって、企業は消費者の購買欲を煽って次々と新しい、そして決して必要ではない付加価値のある商品を出し続ける。人々は次から次へと新しいものを求め、その欲は尽きることがない。今度はあれが欲しい、これが欲しい、あれが食べたいこれが食べたい、あそこに行きたいと欲望のままに生きる。果たして、どこまで行けば今の自分に満足できるのだろう。

しかし、本当はみんな気付き始めている。本当に満たされた人生とはそんなものじゃないということを。欲望を埋めることでしか満足を得られない人生は寂しい。寂しい生活とはそういうことだろう。




ロングテール


ロングテールっていう本を読んだ。

下のグラフで左のほうで上に伸びてるところが、いわゆるヒット商品。それに対して、右のほうに伸びてる、たいして売れていない多くの商品のことをロングテールという。

例えばベストセラーの本だとか、ミリオンセラーの曲なんかは、実際に発売されている(自費出版やインディーズも含めて)本やCDのわずか数パーセントに過ぎない。一昔前までは、本やCDはお店で買うものだった。お店は規模の大小はあれど、棚数には限りがあるから、売れる商品を優先的に置く。実際には店頭にも並ばない作品は山ほどあった。ところが今はインターネットの普及でわざわざお店で買う必要はなくなった。今は音楽はiTunesで好きなだけダウンロードできるし、本もKindleで買うことができる。これまでは在庫の心配をしなければならなかったが、データを売るから在庫の心配もない。僕自身、本はAmazonでレビューを参考に読んでるし、音楽もSpotifyが好みの音楽を流してくれる。ホントに便利な世の中になったものだ。

しかし気をつけないといけないのは、あくまでこの本はビジネスについて書かれているということ。確かにネットでこれまで以上に多くの情報を享受することができるようになったが、リアルではないのだ。この前参加したDesigning Humanityでもシンギュラリティの話が出ていたけど、AIがお袋の味を完璧に再現できるようになっても、それは、決してお袋の味とは言えないだろうみたいな話があった。僕らが得ることができるようになったのは情報でしかない。体験は別の話。でもホントに大切なのは、体験だ。体験ということとは少し違うけれど、例えば家族やペットと過ごす時間は、いくらインターネットやAIが発達しても、それに変わるものにはなり得ない。

デジタルに流されてはいけない。これからは、それぞれがアナログとデジタルを見極めていかないといけないんじゃないかな。



東京タワー(ネタばれ)

リリーフランキーが好きだ。
厳密にいうと、中島らもとみうらじゅんとリリーフランキーに僕は影響を受け、憧れを持っている。
「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」。言わずと知れたリリーフランキーのベストセラーだが、これまで読みたいと思わなかった。話題になったこともあり、なんとなく推測できるストーリーが、僕の憧れるリリーフランキーのイメージと違っていて、読む機会がなかったのだ。僕の中のリリーフランキーのイメージは、「ミラクルタイプ」で下ネタを言うリリーさんだった。
先日、1週間ほど入院することになって、なんとなくこの本を借りた。おそらくこんな機会がなければ読まなかっただろう。
「なるほど、リリーさんはこんな少年時代を送っていたのね」などと考えながら読み進めていくと、あるページで固まってしまった。リリーフランキーのオカンが甲状腺がんを告知されるシーン。自分と同じ病気。しかも声帯にまで影響を与えているあたりも同じだ。そこからは、小説の内容などどうでもよかった。「オカン」が死んでしまうであろうことは予測できたから、発病してから、死んでしまうまでの過程が気になって仕方ない。
結局は甲状腺がんと関係なく、胃がんで亡くなられるのだが、自分のこれからと比較せずにはいられない。しかも入院中に、自分と同じ病気とは。なんたる運命の悪戯。
普通に読めば感動する話なんだろうけど。


ロスジェネの逆襲(ネタばれ)

「やられたらやり返す。倍返しだ!」
という決め台詞で話題になった半沢直樹くん。おそらく、あの中途半端な最終回の続きがこれになるんだろうな〜というのが本作。ちなみに僕は世間が半沢直樹で浮かれているず〜と前から池井戸潤のファンだ(言っとくけど)。
さて、本作。池井戸潤の銀行ネタがちょっとしつこくて、どちらかと言えば「下町ロケット」なんかのほうが好きだが、まあ、期待は裏切らない出来栄えであった。
話は変わるが、僕は社会人になった時、とにかく出世したかった。小さいころから何をやってもダメで、学生時代までダメ夫で過ごした僕は、とにかく出世にこだわった。簡単に言うと見返してやりたかったのだ。輸入家具の会社に転職するまではよかった。その後は、うつ病になって、給料激減、その後転職を繰り返すもいわゆる転職貧乏に。そして昨年息の根を止めるかのように甲状腺がんを患い、またもや給料激減。さらに追い打ちをかけるように声帯麻痺に。ああ、What a wonderful world我が人生、これこそLa vie en rose。本書いたら売れるだろうな的波乱万丈人生。
そんな、僕に一石を投じてくれたセリフがあった。
「すべての働く人は、自分を必要としてくれる場所にいて、そこで活躍するのが一番幸せなんだ。会社の大小なんて関係がない。知名度も。オレたちが追及すべきは看板じゃなく、中味だ。」
ハッ!確かにそうだ。周りからどう見られているかなんて関係ないんだ!
さすが半沢くん、いいこと言うわ〜。
でも半沢君、君最終的に銀行戻って次長になってるやんか〜い!


1リットルの涙

「脊髄小脳変性症」という、運動をつかさどる神経が変化し、ついには無くなってしまうという難病を抱えた15歳の少女、亜也さんの日記を、そのお母さんがまとめたもの。亜也さんが14歳からペンを持てなくなる20歳までの間に書き続けた日記は46冊にも及ぶ。
「生きていることに悩んでいるすべての人々にこの本を読ませたい。」
「亜也ちゃん、あなたの魂の言葉が、きっときっと読む人すべてを救うよ」
この本に寄せられた言葉だ。
こういう言い方はよくないかもしれないが、実際の亜也さんの苦しみは相当なもののはずで、こんな簡単な言葉で片付けられるものではないと思う。確かに、重篤な病気と障害に前向きに向かい合う亜也さんの姿勢には共感するものがある。しかし、その裏にある苦しみは計り知れないものがあるはずだ。
亜也さんとは比べ物にならないが、自分も簡単ではない病気になって、軽い障害を持つようになって、周りの人には心配をかけて応援してくれることは本当にありがたいし、当然のことながら、家族の存在は常に自分を勇気づけてくれている。
しかし、この苦しみは誰にも理解されることはなく、最後は自分で解決していくしかない。そんな時、僕はいつも本を読むことにしていて、最近は自然と闘病記的な本を読むことが多くなった。
とにかく今は、すがるように自分を助けてくれる本を読み漁っている。


余命半年から生きてます!

表題を見て「えっ!!」と思った方がいらっしゃれば、すみません。
これ、本の題名です。僕のことじゃありません。
咽頭がんで余命半年と宣告され、おまけに妻が統合失調症で記憶喪失、さらには息子が学習障害児という、本のサブタイトル通り、面白いほど不運な著者の闘病記。
面白おかしく伝えようとしてはいるものの、抗がん剤治療のくだりなどは、痛々しいものがある。この本の中で、著者が余命宣告され、生への執着をなくしたときに、社長から「君は、もがいてない!」と言われたというくだりが心にしみた。病気で苦しんで、もがいている人はたくさんいる。自分は、もっともがかないといけないと。
僕の話をします。昨年の8月に手術を受けた。おかげさまで手術は成功したが、いつ再発、転移するかも分からない病気。しかも病気の後遺症で声帯が動かなくなり、気管切開をして、まともに喋ることができない。仕事は営業だったが、さすがに営業はできないので、工場勤務に異動になり、給料が大幅に減った(大きな声では言えないが、新卒程度)。おまけに持病の躁うつ病の鬱の山がやってきて、気分的にも大きく落ち込んだ。躁うつ病の上に大きな病気を抱えて、給料が下がったために生活が苦しくなり、追い込まれた妻の顔からは笑顔が消えた。昔からついていない人生だった。今回の病気でも、同じ病気で自分のように進行性が高い人は全体の10%。その一部の人が声帯が動かなくなるが、ほとんどの人は声帯は回復する。まれに、声帯の回復しない人がいる。その、まれな人になってしまった。高校の友人で社長を務めている親友がいる。彼は男前で、スポーツ万能。高校のころからモテていた。自分とは真逆な人。でも、彼が言っていた。「なんでお前には次々に大変なことが起こるんやろうと思ってた。でもな、それを乗り越えていくお前を見て、俺はいつも勇気づけられてここまで来れたんや」。
こんな自分でも、少しは人の役に立っているらしい。


 

この話、続けてもいいですか。

抱腹絶倒というと死語だろうか。
小説家、西加奈子さんのエッセイだが、私生活の西さんは、僕がこれまで読んだ西さんの作品からはとても想像できないような、破天荒なお人であった。とても切ない家族の物語である「さくら」や、田舎暮らしをする「ムコさん」と「ツマ」の夫婦愛を描き、映画化もされた「きいろいゾウ」(ちなみに映画化された「ツマ」役の宮崎あおいはいいとして、「ムコさん」役の向井理は、小説のイメージとまったく違い、納得していない)などの小説から浮かび上がる、「おそらく、すごい繊細な作家さんやろなあ」という思いは、このエッセイを読んで打ち砕かれてしまう。
もともと大阪の方だから、関西弁はよしとしても、最初は「ははは、この人、大阪人丸出しやなあ」と笑っていられるが、後半になると乗ってきたのか、「ババア!」や「鼻糞!」や「おちんちん!」といった、いくら関西人とはいえ嫁入り前のうら若き乙女が使うとは思えない主に下系のお下劣なお言葉の乱射が始まる。
でも、決してそのギャップがおもしろいというわけではなく、1冊のエッセイとして、とてもおもしろく、最近、久しぶりに鬱モード全開だった僕にも、非常に楽しく読めた。
ただし、一言言うとすれば、西加奈子の小説が大好きな方は読まないほうがよい。いや、たぶん、この西加奈子という人は、僕が知ってる小説家の西加奈子さんとは同姓同名の別人なのだ。そうだ、そうに違いない。


きいろいゾウ

「さくら」に続いて読んだ西加奈子さんの2作目。
「さくら」の時もそうだったけど、この作品も、そこに描かれているのは羨ましくなるような温かくて心和む家族の情景だった。それは決して嫌味がなく、例えば親友の結婚式を心から祝う時みたいな晴れ晴れとした感情なんだけど、隣の芝が青く見えるように、非日常的な苦しくて悲しい過去を伴っていたりする。
この作品に登場する主人公のツマであったりムコさんであったり、幸せな田舎暮らしをするアレチさんでさえも、苦悩の中で毎日を自然に生きている。
最終的には、みんな光を見出すのだけれど、読み終えた後にやりきれなさを感じてしまう。「さくら」で自ら命を絶ったお兄ちゃんは、結局報われないし、この小説に登場する、ない姉ちゃんやムコさんの昔の彼女とその夫も、本当に救われたのか微妙だ。ムコさんの日記を読んでしまうツマと、読まれていたことに気付いたムコさんも、なんとなく「まあ、いいか」と言った感じで流されてしまい、スッキリとした終わり方ではなかった。
みんなどこかで苦しんでいるし、辛い過去を持っているし、それでも希望を持って生きているし、西さんの小説はとても現実的なのかもしれないけれど、僕は小説の中では夢を見ていたい。悲しい結末ならば同じ思いで涙を流したいし、ハッピーエンドならいっしょに心から喜びたい。
現実逃避と言われれば確かにそうなんだけど、これまで何度も本を読むことで救われたから、現実と向き合わされるのは少し辛い。


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