一万円生活

2月は逃げると言うが、ついこの間初詣に行ったかと思えば、早くも3月を迎えようとしている。庭の植木鉢も花を咲かせ、春の訪れを感じさせる。

3月から、お小遣いを1万円に値下げすることにした。1万円と言うと世間のサラリーマンからすると少ないほうだと思うが、いろいろ思うところがあった。

今までお小遣いは2万円だったが、お昼はおにぎりとお茶を持って行ってるので、平日はまずお金を使うことがない。週末も特にお金がかかるような事はしていないが、月末には見事に使い果たすので、よほど無駄遣いしているのだろう。

今はお金があればなんでも手に入る豊かな時代になって、より便利なもの、より速いもの、より快適なものという風に、人間の欲望は尽きることがない。しかし最近になって、より人間らしい生き方ってこういうものなのかしら?と思うようになった。うまく言えないんだけど、便利になればなるほど、実は人間らしい生活から離れていってるような。

僕の理想としては、子供が独立したら星空のきれいな田舎の土地に小さな小屋を建てて(もしくは古い民家を借りて)、生活に必要な最小限のものだけを揃えて、極力アナログな道具に囲まれながら、畑なんかを耕して自給自足に近い生活をしたい。陽が昇ると目を覚まし、明るいうちは土をいじって働き、陽が沈むと眠りにつき、自然と触れ合うことで、季節の移ろいを感じる。暖かい春の日には、縁側で座り心地のいいリクライニングチェアーに座りながら時間が経つのを忘れて本を読み耽り、猫といっしょに昼寝したりして。

嫁さんは絶対に反対するだろうから叶わぬ夢なんだけど、なるべく無駄なものにお金を使わず、精神的に豊かな生き方がしたい。


僕の手相

大学の時に屋台村でバイトしてたんだけど、僕が働いていた屋台村は朝5時まで営業してて、深夜0時過ぎになると水商売のオネーチャンがお客さんと飲みに来てたりした。

僕が働いていた串カツ屋にも常連のオネーチャンがいて、そのコのお店のママさんが見てくれる手相がよく当たるということで、一度見てもらった。

僕の掌を見るなり「わー、あんたは苦労の絶えない手相してるわ」と言われたことを今でもはっきり覚えている。

これまでの人生を振り返ってみても、高校の入学式に通学に使っていた自転車をドブに捨てられたり、大学の卒業旅行で行ったオーストラリアでは、渡豪3日目にして落馬で骨折して泣く泣く帰国したり、念願の会社に転職したと思ったらうつ病になったり、厄年で見事に大病を患ったりと、確かに波瀾万丈な人生ではあったが、苦労が多かったかと言うとよく分からない。

よく、過ぎたことをクヨクヨ考えても仕方がないとか、未来は変えられるとか言うけど、僕は過去も未来もないと思っている。あるのは今だけ。その今という時も時間軸で考えると、こうしてくだらないブログを書いている間にも1秒1秒と時は流れているわけで、人生とは今この瞬間の連続でしかない。

人はいつか死ぬから死というゴールに向かって進んでいるのだ。1日1日、毎日86400秒ずつ人生を終えるまでの時間を使い果たしている。そう考えると、四六時中不幸だとか苦労しているとかいうことはないような気がする。もし、そう思うなら、それは、その人の考え方がそうしてるに過ぎないと思う。

僕は病気をした時、自分にあるものとないものを数えた。ないものは生活に困らないお金、健康な身体、自分が本当にやりたい仕事くらいしか思い浮かばなかったが、あるものは家族がいる、雨風をしのげる家がある、音楽が聞ける、青い空が見える、雨上がりの懐かしい匂いを感じれる、手が動く、歩くことができる、美味しい食事が味わえる・・・などなど圧倒的にあるもののほうが多いことに気づいた。

満ち足りているほど、自分がどれだけ恵まれているかには気付きにくい。些細なことで自分は不幸だと感じてしまう。何より今生きている。それが基本であとはすべてプラスαなんだなくらいでちょうどいい。


ブログを書く

一部の方は気付いていると思うが、昨年末からこまめにブログを書くようにしている。

ブログを始めてもう10年近くになるが、正直、しばらくサボっていた。平々凡々な日常を過ごしていると書くネタがないし、まるでイイネ!が付かないインスタのように読んでもらっている実感がないと書く気力もなくなるというものである。

ブログを再開したのは、きっかけがあった。久しぶりに会った中学の同級生が僕のブログを読んでいろいろ救われたと話してくれた。僕のようなものが書いているブログでも何かしら人の役に立っていると思うと嬉しかった。

僕はブログで自分の病気のことなんかもカミングアウトしているけれど、普段生活することにおいては、なるべく病気のことは触れないようにしている。正直、昔は病気をしたことに対して「どうして自分だけが」みたいな気持ちがあったし、同情して欲しいみたいな甘えもあった。でも今は生きていくうえで病気を言い訳にしたくない。ところがブログのアクセスログを見ていると、病気ネタがよく読まれている。僕の病気は、同じ病気の中でも症例が少なく、僕自身もネットなんかでも情報が少なくて苦労した。僕の知らないところで、僕の知らない人が、僕と同じように病気と闘いながら、もしかしたら、そういう人の役に立っているのかもしれない。

ブログをフェイスブックでシェアしたら、いろんな人がイイネ!をくれる。1日に僕のブログを訪ねてくれる人は100件を超えている。いいことも悪いことも、強いところも弱いところも、僕はこれからも赤裸々にブログを書く。

何かを成し遂げた訳でもなく、人に偉そうなことを言える訳でもなく、富も名誉もない。そこら辺にいる普通のサラリーマン。でも、そんな僕にしか語れない言葉があるはずだから。

僕はブログを書き続ける。


選択の自由

先日、SNSだったと思うが、人はすべて正しい方を選択している、みたいな事が書かれていた。

人生は、進学、就職、結婚など選択の連続だ。今日のお昼は吉野家にしようかマクドにしようか、夜はオリンピックを見ようかドラマを見ようかなど、常に選択が迫られていると言ってもいい。

この選択と背中合わせなのが後悔だろう。自分の人生を振り返るとまさに後悔の連続だった。like a rolling stones転がる石のごとくどころか落石に近い。人生すべて正しい方を選択しているなんて、超楽観的ポジティブシンキングじゃねーの?なんて思ってしまうし、いかにも自己啓発本に出てきそうな言葉だ。

自分は一人しかいないし、時間は常に流れているから、ふたつの人生を同時に経験することはできない。例えばAという選択をしたとして、非常に後悔したとしても、Bという選択をした場合の結果は誰にもわからないのだ。そう考えると、自分の選んだ道が正しかったと思ったほうがいい。それになによりも、選択できるということ自体がとても贅沢なことなのだ。世界を見渡してみれば、選択の余地さえない人はたくさんいる。むしろ、日本と比べるとそういう状況の人のほうが多いだろう。

後悔する前に、自分が今の置かれている状況に感謝すべきじゃないかな。自戒をこめて。


出る杭

今、仕事でブランディング的なことに関わらせてもらっている。

ブランディングと言うと聞こえはいいが、どうすれば売り上げが上がるのか?を考える。単純に他社よりデザインが良ければ、他社より安ければ売れるというものじゃなく、それこそレッドオーシャンの海原で正面からぶつかるとそのまま溺れてしまうのは目に見えている。

だから、これまでとは違う新しいことをしないといけないんだけど、新しいことをしようとすると、どこからともなく必ず抵抗勢力が現れる。しかも、この抵抗勢力は味方だと思っていたところから現れるから厄介だ。

クレヨンしんちゃんで、正義の反対は悪ではなく、また違う正義が存在すると言ったとか言わなかったとか。確かに我々が悪と思っている軍事国家もテロ組織も、彼らは自分達が正しい(正義)と思って活動しているのだ。そして、ほとんどの場合、利害関係が絡んでいる。自分達にとって、何かしら損害を被る可能性があること、もしくは自分達の領域が侵される危機感があると抵抗勢力はどんな手を使ってでも抵抗し、正当防衛を主張する。

解決策は、武力制裁でも経済制裁でもなく対話であると思うが、多くの場合、対話にならないから難しい。

しかし今は敵を増やしてはいけない時期。そして焦ってはいけないが確実に結果を出す必要がある。いざ、青い海へ。



滝野社〜三宮ドライブ

先日、仕事でライターさん、カメラマンさん、ディレクターさんと一緒に車で関連会社の工場へ行った。

工場は兵庫県加古川市のはるか北、多可郡という山に囲まれた田舎にある。中国自動車道の滝野社インターから車で30分ほど走ったところだ。

仕事は順調に進み、予定より早く17時半には工場を出ることができた。みんな行き先がばらばらだったので、三宮までお送りすることになった。車にはナビがなかったので、一瞬、中国自動車道で三宮までどうやって行くんだっけ?と思ったが、Googleのナビがあるし、高速まで行けばなんとかなるだろう。しかし、これが甘かった。とりあえず、滝野社のインターへ向かうはずが、Googleが行こうとする道は、どう考えても滝野社へ向かっていない。どうもGoogleは下道で三宮まで行こうとしているらしい。とにかくGoogleは無視して滝野社へ向かう。高速に乗ればあとは高速で三宮まで向かえば良い。ところが中国自動車道に乗ったものの、Googleは次のインターで降りろと言う。そんなはずはないと思ったが自身がなかったので、Googleの言う通りにしてみる。ほどなく看板に「神戸」の文字が見えたので安心したが、走れど走れど三宮に着く見込みがない。おまけに、明らかに曲がらないといけないところで、Googleのやつはだんまりを決め込んでいる。Googleは無視してひたすら自分の方向感覚と道の看板を頼りに三宮へ向かう。ひたすら、暗い山道を進む。この道であっているのか?暖房の暑さか冷や汗かわからない嫌な汗が背中を伝う。走り続けること1時間半、ようやく看板に「三宮」の文字が見えた。

時間はかかったものの、なんとか三宮へ到着し、みんなを送り届けることができた。あとで確認すると、やはり高速で三宮まで行くと、遠回りにはなるものの45分で着くようだった。ネットやデジタルに頼りすぎると、こういうしっぺ返しを食らう。


ものづくりセッションとBar SOCKET

昨日、「ものづくりセッション」に参加してきた。

ものづくりセッションは、生野区役所に勤める武田さんや木村工務店の社長が中心になって、生野区のものづくりを伝えていこうという試み。

大阪市の生野区は市内で最も製造業の多い区だが、その6割近くは従業員3名以下の零細企業。その多くは下請け企業だが、大手の企業の仕事を請け負っていたり、高い技術を持っている職人さんもたくさんいる。しかし同時に、賃金の安い中国製に押される形になり、仕事が急激に減って困っている会社も多い。

僕は生野区民でもものづくりができるわけでもないが、縁あってお呼びいただいた。昨日はキックオフ的な感じだったので、今後の展開は随時お伝えしようと思う。

ものづくりセッションの後、同じく生野区にあるSOCKETというBarに行ってきたが、このBarがおもしろい。場所は住宅地の中の工場の中にあって、知らなければ絶対にたどり着けない。もともとは電球のソケットを作っている工場とのこと。だからBar SOCKET。

店構えもおもしろいが、中に入ると、セブンチェアやバルセロナチェアなどの名作椅子が無造作に置かれ、壁にはジョージ・ネルソンの時計がかかっている。

さらにマスターが変人並みのおもしろさ。気さくでしゃべりやすく、話しの引き出しが多くて飽きない。

これは、ものづくりセッションからのBar SOCKETという流れになりそうだな。


glo

gloを買ってしまった。

アイコス同様の加熱式タバコと言われるもの。タバコの葉を燃やさないので、ニコチンは含むがタールを発生させないことから、タバコに比べて有害物質を9割もカットすると言う。

タバコをやめたのは15年前。と言っても飲みに行った時などたまに吸っていたし、仕事で疲れた時など、たまに吸うタバコは最高だった。年末の忘年会でgloを吸っている友人に吸わせてもらって、1日1本くらいならいいだろうと軽い気持ちで買ってみた。

gloを充電している時に息子から、「これ何?」と聞かれ、「電子タバコみたいなもんかな」と答えると、「なんで?せっかくやめたのになんでまた吸うの?体に悪くないの??」と詰め寄られた。息子の勢いに思わず「パパの自由やろ?」と答えたが、後ろめたい気持ちで申し訳なく思った。

病気をしたのは、息子が11歳、娘が8歳の時だった。9時間半に及ぶ手術、2ヶ月半に渡る入院生活。退院した時は気管切開していた。幼いながら子ども達は、自分の父親がそう言う状況であったことについて、どのように感じていたのだろう。

僕は自分のことで精一杯で、家族の気持ちまで顧みる余裕はなかった。病気になった自分に対する甘えもおおいにあった。病気になった本人に対し、家族は成すすべがない。努めて普通に接し、あえて病気の話はしない。そんな空気が家の中にはあった。しかし本当は常に不安なのかもしれない。それに対して、今回の僕の行為は軽率だったと言わざるを得ない。

正直、何も心配せずに済むのならタバコくらい吸いたい。でも、これ以上、家族を不安にさせることはできないのだ。神様、すいませんでした。お願いだからもう少し長生きさせてください。せめて孫ができるくらいまでは。

3本吸って手放した。


古着のススメ

地元の茨木に「お宝屋」というリサイクルショップがある。

フィギュアやゲームソフト、マンガや古着などを置いていて、どちらかと言えばマニアックな品揃えであるが、見ているだけでおもしろい。

僕は基本的に服はこのお宝屋で古着を買っている。古着のよいところは、

.屮薀鵐匹發里安く買える。

お宝屋で扱っている古着はほとんどブランドもの。基本的にブランドものじゃないと売れないから、ブランドもの以外の服はほとんど買い取っていない。

⊃びたり縮んだりする恐れがない。

古着なので、何度か洗濯されている。新品でハズレを引くと伸びたり縮んだりする可能性があるが、古着はそれ以上伸び縮みする可能性が少ない。

7,蟒个景を見つける楽しさがある。

古着は行ってみないとどんなものがあるかわからない。しかも、自分に合うサイズがあるとは限らない。古着探しはまさに宝探しのような楽しさがある。

の行に左右されない。

古着だから流行のものはない。逆に自分が気に入ったものであれば飽きずに着られる。

ニ阿たらメルカリで売れる。

古着と言えどブランドものなので、飽きたらメルカリで売れる。

僕の場合は、どんな服でも2000円以内で買うことにしている。あとは、自分に似合っていること。

今日はピーコート風のブルゾンを1400円で、バーバリー風のシャツを600円でゲット!

よい買い物でした。


新年二日目

ヒマである。

正月は元旦にウチの実家、2日と3日に嫁さんの実家に帰ることがお決まりのパターンだが、この実家というやつがヒマで仕方がない。

僕は完璧主義者なので、年末年始を有意義に過ごすことに命をかけている。僕の年末は12月から始まる。12月になるとすぐに大掃除を始め、完璧に大掃除を終わらせて大晦日を迎えるのだ。大晦日はゆっくり家で過ごし、酒を飲みながらガキ使を家族で見て大笑いして新年を迎えるのがゴールデンパターン。

ところが、この年末は、このガキ使から調子が悪かった。今年のガキ使はイマイチだった。そして消化不良のまま、昨日のブログで書いたように、年始早々ブルーな元旦を迎える。

二日目の今日も、とにかくやることがない。嫁さんの実家に来た時は甥っ子達とボーリングをすることになっているが、この年初めのボーリングも僕にとっては今年の運を占う重要な行事。ところが、スコアも3ゲームこなしてアベレージ117と冴えないスコア。

生産性のない時間だけが過ぎていく。むしろ、仕事がしたくなってきた。

FacebookやInstagramのTLを見ても投稿も少なければ、いいねも少ない。みんな、充実したお正月を過ごしているのではないか?と不安になるが、ヒマだからSNSをこまめに見る、SNSを見て不安になるという最悪のローテーション。

昨日のブログでは、今年は健康であればそれでよいと書いた。ウソです。これではマズローの欲求の5段階のうち第二階層までしか満たされていない。現時点では第三階層までは満たされている。やはり、せっかくなら第五階層まで目指そう。やりたいことをやって、欲望のままに生きる。今年は欲の猛者になってやる。そして、リア充とやらを手に入れるのだ!

とりあえず4日は、久しぶりに服買いに行こ。



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