僕には夢がある。

夢というよりは、目標というか野望に近い。僕は昔から夢という言葉を使うのが好きではなかった。夢という言葉には、どこか叶わなくても美化されるような感じがして、僕の場合は、鼻の穴を大きく開けて、鼻息荒く語るような代物なので、夢という言葉ほど美しいものではない。

今、この野望を果たすべきかどうかで大いに悩んでいる。問題は金だ。金がない。この野望を叶えるには、軍資金として最低50万は必要だ。そして、僕の手元には今50万ある。しかし、このお金は独身時代に貯めておいたもので、将来、子供に何かあった時に使ってやりたいと思っていた。この美談のような50万を、今僕は自分の野望の為に使うべきかで悩んでいる。もちろん、この50万が100万、200万に化ける可能性も0ではない(限りなく0に近いが、、、)。悩む前に、まず嫁を説得する自信がない。

前から言ってるように、うちは貧乏だ。ちょっとやりたいことがあるんだけど!、とも言おうものなら、しかも、あの50万使っていい?とも聞こうものなら、翌日帰宅したらダイニングテーブルに離婚届が置かれているに違いない。しかし、家族に辛い想いをさせているのは、全部自分のせいであることも認識している。本当に申し訳ないと思う。

以前、会社の同僚から、「自分の人生は捨てて、家族の為に生きてください」と言われたことがあった。現実から逃れ、やれやりたいことがあるだの、転職だのという自分を戒める同僚なりの愛情だったと認識している。僕は自分の人生を捨てるべきだろうか?この前のブログに書いたように、全ての執着をなくし、何も求めず、ただ家族を養う為にひたむきに働き続けるべきだろうか?もう思春期を迎えた子供達は、最近、僕と会話すらない。嫁さんとは楽しく話しているが、もっぱら学校ネタなので、友達関係など理解できていない僕は会話に付いていけず、こうしてひとりブログを書いている。

僕が花であるならば、このまま行けば一生咲かずに終わるだろう。死ぬ間際に走馬灯のように見る僕の人生は、いったいどんな景色なんだろう。


ミラージュ

ミラージュというクルマをご存知だろうか。

僕が学生の頃は、それなりに流行っていた三菱の車であるが、いつの間にか、その存在は世間から忘れ去られるようになってしまった。ミラージュとは、「蜃気楼」という意味だが、まさに蜃気楼のようにその姿を消した車である。

そのミラージュが数年前に知らぬ間に復活していて、昨年ビッグモーターで3年落ち40万というビックリプライスで販売されていた。スタイリングも悪くないし、車にまったく興味がないので、蜃気楼のような中古のミラージュを購入した。

先日、日経新聞を読んでいると、そのミラージュ君がリコールになっていたので、三菱のディーラーへ行ってきた。ゴーンショックのせいか、店は閑散としている。

「あの、ミラージュなんですが、あの、あれです、えーと、、、」

「リコールですか?」

「あ、それです。リコールって聞いたもんで」

「車検証を拝見させていただきますね。何か飲み物でも」

メニューを見せていただいて、カプチーノをお願いする。程なくカプチーノが出てきて、冷えた身体に温かいカプチーノを流し込む。

薄っ!!

カプチーノというよりも午後ティーミルクティーをお湯で薄めたような味がする。コンビニのほうがまだうまい。まあ、タダだから文句も言えまい。

程なく、「今日はたこ焼きをサービスしております」といって持ってきた。

先!たこ焼きが先!!

どこに、カプチーノ(しかもホット)飲みながらたこ焼き食う輩がおんねん!!

「すぐにノンアルコールビール持ってこい!」

とも言えないので、薄いカプチーノをすすりながらたこ焼きを食べる。たこ焼きは、それなりにうまかった。

リコールはエンジントラブルでコンピューターの書き換えだけで30分程で作業は終了した。ついでに洗車もしてくれた。僕は洗車しない派なので助かった。

帰りがけに、「なんかエンジン音が変な音してるんですよね。。」と、店員に捨てゼリフを吐かれたが、無視して帰る。エンジンは、どうも回転数がおかしいことがあり、何度かビッグモーターにクレームを付けたが、「問題ありません」と片付けられていたので、これを根拠にビッグモーターにクレームを付けてやる。

ちなみにミラージュ君を買ってから、まだ1台しか走っているのを見たことがない。

まさに、蜃気楼のようなクルマである。


自慢

僕のブログは基本ネガティブである。

不幸のオンパレードな僕の生き方を読んでいただいて、少しでも人生に悩む子羊たちのお役に立てればというのは表向きで、単なる憂さ晴らしである。しかし、たまには僕の過去の栄光を自慢させて欲しい。

僕は大学を卒業して、上場企業に入社した。3週間の研修を経て、名古屋支店建装一課に営業として配属された。営業には、既存のお客さんを廻るルート営業と物件を取りに行く物件営業があり、僕はルート営業を得意としていた。

僕は基本、いわゆる「売り込み」はしない。お客さんと話す内容は、ほぼ世間話。というか、よくお客さんの悩みを聞いていた。お客さんがどんなことに困っていて、どういう商品を望んでいるかをフムフムと聞き、お客さんが喜ぶような情報を提供するというのが、僕の営業スタイルだった。お客さんの話を聞いて、それだったら◯◯からいい商品が出てますよ、とか平気で競合他社の商品を紹介してあげたりした。上司に知られたらど叱られそうだが、僕にとっては、自社の商品を買ってもらうよりも、お客さんに得してもらうことを考えていた。僕は商品を売るのではなく、信用を売っていたのである。

一見損をしているようだが、「あいつの言うことは間違いない」と思って頂けたらこっちのもので、もちろん、自社の商品をPRすることもあるので、「今度はいいの出たんすよー」とお話しすると、安心して使っていただけた。損して得とれというやつだ。しかし、このやり方は、自社商品のみならず、他社の商品や業界の情報などの知識をきちんと把握しておく必要がある。それと、自社の商品を無理に売り込むことはなくても、自社商品の説明はきちんとしておかなければならない。きちんと説明はして、いいか悪いか、使うべきかどうかを決めるのはお客さんだ。

実際ルート営業では、売れる方程式みたいなものが分かっていたので、そこそこの成績を上げていた。

例えば、クレームは僕にとってはチャンスだった。クレーム発生時に、どれだけきちんとした対応をするかでお客さんを味方にすることができる。競合他社の商品をメインで扱うお客さんを攻略店と呼んでいたが、攻略店で大クレームが起こり、その時の僕の対応で、それ以降、注文が増えたこともあった。あと、型破りなこともした。営業には、サンプル費と言って、お客さんにサンプルを無償で提供する為の予算をもらえるのだが、僕は、そのサンプル費で、攻略店の競合他社の在庫を全部買い取り、お客さんの在庫を自社の商品に入れ替えたこともあった。在庫がある限り、簡単に仕入先を変更するのは難しいので、思い切って入れ替えてしまった。その後は、在庫品のリピートが来るので、売上が倍近くに跳ね上がった。

しかし、これはルート営業の話。物件営業は、どちらかといえば苦手で、憧れの業界に固執するあまり、その後転職した会社が全て物件営業の会社であったため、転がる石のように、転落を続け今に至るという訳である。

そのまま転職せずに続けていたら、今頃はそれなりに出世していたかもしれない。


資本が主義!

甘かった。

「課長、今日、残業します!」。残業を減らすよう言われた僕は、残業する時には課長に申告しなければならなくなった。今月は、まだ7時間しか残業していない。課長は、うちの家計が苦しいことも知っているはずなので、まだまだ余裕だと思ってた。ところが、「それ、絶対今日やらなあかん仕事?何時まで残業する気?仕事の内容は?」気を許した隙に思わぬ職務質問。

「オンラインショップの資料をいろいろと・・・」

「資料ってなに?その資料いる?」

何がなんでも課長は残業をさせない気だ。まだ7時間しか残業していないのに!あまりのしつこい職務質問に、僕は思わずパソコンの退勤ボタンを押した(うちの会社はタイムカードの代わりにパソコンで出退勤を管理している)。

まずい。非常にまずい!今月は、とりあえず7時間は残業できている。しかし、残業する度に、こうも毎日職務質問されては、残業なんてできやしねー!来月から残業代ゼロ!もあり得る。

生活できねーよ。。

僕はこの前、執着しない生き方を説いた。しかし、執着しないことと金がないのはまったく別である。執着しなくても、金が貯まることはない。執着しないことで贅沢をしないことはできる。でも、うちの場合は、生活できないレベル!

今までいろんな自己啓発本を読んできた。はっきり言おう。それらの自己啓発本に書かれた人たちは、どんな境遇であれ、金には困っていない。

もう一度言う。

金には困っていない!

稲盛和夫も、水野敬也も、稲垣えみこも。

これほど資本主義を恨んだことはない。とりあえず今年の忘年会はすべてお断りしよう。。


執着を捨てる

いやー、まったくなぜこうも次々と試練がやってくるのか。

また、弱音を吐きやがってと呆れられそうだが、今回の試練もなかなかのものだ。残業が多すぎるから減らすように会社から言われた。多すぎると言っても月に30時間弱だから、格別残業が多いわけではないし、サービス残業もほぼないので、それほどブラック企業ではないが、残業時間を一桁まで減らさなければならない。

炎上を怖れずに言うと、今もらっている給料は上場企業に就職した新入社員の平均に毛が生えた程度だ。それこそ楽天やソフトバンクの新入社員には負けているだろう。それで残業代まで削られたらホント生活ができない。副業でバイトでもしたいが、うちの会社は副業禁止なので、もしバレて何かあったら元も子もない。以前、転職を考えたことがあってハローワークに相談に行ったが、声が出にくいことと障害者雇用での転職は今より給料が下がると言われてしまった。マイカーを売るとか、持ち家を売って安アパートに引っ越すとか、まだまだできることはあるが、できれば家庭の事情で子供たちには不憫な思いをさせたくない。

考えてもお金が増えるわけではないが、久々にメンタルをやられてしまった。あまりにもいろんなことが降りかかる僕の人生は、ある意味ドラマチックだが、自分の気持ちを落ち着かせるために、僕は人生を捨てることにした。周りの人を羨んだり、自分の人生に希望を持つからうまくいかない時の反動が大きい。いっそのこと人生を捨ててしまえばいい。もう48年も生きて、それなりに楽しいこともあったじゃないか。

以前、AIに人は救えるか会議で、龍谷大学の先生が、仏教の世界では悟るとは執着を捨てることだと言っていた。これは、何かに悩み苦しんでいる人に是非とも読んで頂きたいのだけれど、辛いことも悲しいことも苦しいことも、執着するから起こるのだ。お金に執着し、出世に執着し、人から好かれることに執着し、インスタでいいねをもらうことに執着する。執着しないことで楽になれる。もう、自分の人生にすら執着せずに捨ててしまおう、喜怒哀楽を捨ててしまおう、とここまで考えて、ん?ってなった。

喜びや怒りや哀しみは、執着に起因する。執着するから喜び、執着するから怒り、執着するから哀しむ。しかし、「楽」に関しては、楽しむことも楽に生きることも、むしろ執着しないほうがいい。執着しないことで、ずっと楽に生きることができる。これだ!と思った。

例えばパラリンピックに出てる選手たちは、自分の障害に執着しているだろうか?おそらくまったくしていないだろう。いやいや、彼らはメダルを取る事に執着してるでしょう、と言う人がいるかもしれない。これは、僕の憶測に過ぎないが、彼らはメダルに執着していないと思う。執着している人はドーピングをしたり、ライバルを蹴落そうとしているような人だ。純粋なアスリートであれば、メダルへの執着よりも、どちらかと言えば自分との闘いで、執着とは違うと思う。どんなに苦しいトレーニングも、メダルや名誉に執着していない人にとっては「楽」なはずだ。

僕みたいに人生を捨てるのは行き過ぎだが、執着は捨てよう。以前、嫌われる勇気という本がベストセラーになったが、嫌われることに勇気など微塵も必要ない。人間関係も出世も名誉もリア充も、執着から逃れることで楽になる。

僕らの人生は自分のもので誰のものでもない。執着を捨てることで、自分らしく生きていこう。


病院と図書館

僕の好きな場所。

病院と図書館。

病院は病気で2ヶ月半入院していた時に、看護師さんの優しさに触れたことと、機内食的な病院の食事が好き。もう入院はしたくないけれど。

図書館は、おそらく一生かかっても読みきれないほどの本がたくさんあるのが好き。本の数だけいろんな考え方や生き方があるんだなぁとか考えると、まるで宇宙のような無限を感じる。

僕は大学病院に入院していたから、せっかくなら図書館と病院が一緒だったらいいのにな。図書館って、本がたくさんあるだけでなくて、紙芝居とか人形劇とかやってるし、子供もたくさん来てるから、病気の人が好きな本を読めたり、子供たちと触れ合えたら楽しいと思う。

病院って、特に入院病棟は隔離されてるイメージがあって、もっとオープンでもいい気がする。

探したらありそうだけど。

そういうのが当たり前だったらいいのにな。


子猫救出作戦

僕の仕事場は、淀屋橋のオフィスビルの1階にあって、裏にビルの立駐がある。

残業で仕事をしていると、かすかに「ミャー、ミャー」と音がする。初めは何の音かと思ったが、どう考えても子猫の鳴き声。オフィスを出てみると、裏の立駐から子猫の鳴き声がした。立駐は地上1階地下2階の構造になっており、どうやら子猫が入り込んで出られないようだ。

とりあえず、ビルのメンテナンス会社に電話して、立駐に子猫が入り込んで出られないみたいだから、助けて欲しいと伝えた。とりあえず上司に相談します、と言われて電話を切り、程なく、10分くらいで向かいます、と連絡があった。

メンテナンス会社の人が来て、ライトで車の下を照らすと、車の下に子猫がいた。怖がって出てくる気配がない。後ろに回り込んで追い立てようとするが、目を離した隙に地下に降りてしまった。下手に立駐を動かすこともできないので、助け出すには立駐のメーカーの人に来てもらわないといけないとのことだが、メーカーの人に来てもらうと有料になると言う。今回の場合、支払うところがはっきりしないので、メンテナンス会社としても、頼めないということだった。よほど、僕が出します、と言いたかったが、勝手な判断をしてもいいものかどうか分からず、しばらく大の大人たちが立ち尽くしてしまった。よく、大人たちが協力して動物を助けるシーンをテレビとかで見るが、あれは、テレビだけの話なのか?状況が状況だけに、こういう場合は融通を利かせられないのか?と、大人の事情に呆気に取られてしまった。

人の気配があると余計に怖がって出てこないかもしれないということで、いったんその場を離れることにした。

運良くその作戦がうまくいって、子猫は自力で下から上がってきて、駆け足で逃げていった。

なんとか助かってよかったが、なんとなく後味の悪い救出作戦だった。


Amazon photoで画像を完全に削除する

AmazonのクラウドストレージサービスにAmazon Driveというのがある。

5GBまでは無料で利用でき、プライム会員だと、画像ファイルに関してはAmazon photoのアプリを利用して無制限で保存できるという、なんとも便利なサービスだ。

僕はWindows10の家のパソコンとiPhoneにAmazon photoのアプリをダウンロードして使っているが、特にiPhoneの画像が、かなり昔に削除したはずの画像までアップロードされてしまった。

アプリで削除したい画像をゴミ箱に入れて、「永久に削除」を選べば削除できるはずなのでやってみたが、永久に削除したはずの画像が、パソコンを立ち上げる度に復元されるという厄介なにことになった。何度やっても、パソコンを立ち上げる度に復元される。あまりにも不便なので、Amazonにチャットで問い合わせてみた。同じ現象で困っている人がいるかもしれないので、対処法を書いてみた。

まず、iPhoneのAmazon photoのアプリで、「その他」→「設定」→「アップロード」で、「自動保存」にチェックが入っていると、「永久に削除」で削除した画像も復元されるらしい。「自動保存」のチェックを外せば、「永久に削除」した画像が自動で復元されることはない。

ところが、「自動保存」にチェックが入っていないということは、iPhoneで撮影した画像は、自動でアップロードされないということになる。Amazonによると、「手動でアップロードしてください」との回答だった。

「自動保存」で自動でアップロードされ、不要な写真は「永久に削除」すれば、完全に削除してくれればいいのだが、現時点では、「永久に削除」するには、手動でアップロードするしか方法はないらしい。

Amazon Goとか新しいことをどんどんやってるイメージなのに、この使い勝手の悪さは頂けない。

端末がiPhoneだから、競合するiCloudを持つApple 製品とは親和性が悪いのだろうか?

簡単に解決できそうな気がするが。。。


その時を待つ

ワールドカップ予選。

僕はベンチスタートだった。身体は充分に温まっているし、ボランチとして勝つための方程式も出来上がっている。あとは、出番を待つだけだ。

僕はコーチに、今のチームに何が足りないのか、どうすればこの試合に勝てるのかをゆっくりと説明した。コーチは大きくうなずいている。しかし、僕を試合に起用するかどうかを決めるのは全て監督だ。監督とは、もう10年の付き合いになる。監督が何を望んでいるのか、僕にはよく分かっている。ケガをしたこともあった。精神的に不安定な時もあった。しかし、今はすべての条件が揃って、万全の体制だ。今ならやれる。必ず結果を出せる。

早く試合に出してくれ!


レボリューション!

できた。

先日、神が舞い降りてきてから、リサーチを繰り返し、案を練って熟成させ、充分に発酵させてきた。

そして遂に完成した!これまでにない完璧な出来映えだ。興奮が収まらない。気分を上げるためにデスメタルを大音量で聴く。今はベンチスタートだ。体は充分に温まっている。明日はまず、コーチ(上司)にプレゼンする。「オレ、やれますよ」

サポーターよ、パワーを分けて欲しい。両手を空に向かって広げ、皆の力を分けて欲しい。これは、挑戦ではない。革命だ。

まずは、明日、自分がやれることを証明し、来週の社長プレゼンに備える。

ピッチに立つ。そして結果を出す。今の自分なら必ずやれる自信があるし、信じている。


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