只今猛省中!

またまた悩んでいる。というか、悩んでいた。

僕は自分でも呆れるほど悩む。ガラスのハートと言われたこともあるが、ちょっとしたことで悩む。今回は家族のことで悩んでいた。前にもブログで書いたけど、最近ますます家の中で居場所がない。自分だけ家族の会話に付いていけない。嫁、子ども2人、その3人だけが家族みたいで自分だけ除け者みたいな感じがしていた。

相当悩んで、中学生の同級生の女子に相談した。彼女は僕のブログもよく読んでくれていて、いつも嫌な顔ひとつせず僕の話を聞いてくれる。いつものように、「なるほどなー」、「わかる!わかる!」、「そうやなー」なんて言いながら、僕の話を聞いてくれた。あまり時間もなくて、特別彼女から答えをもらえた訳ではなかったが、自分の口で話をして、自分が悩んでいた理由がはっきり分かった。


僕は自分の幸せを基準に考えていた。


家族が自分と話してくれないのを、自分は不幸だと思った。周りの同級生達がどんどん出世していくのを見て、妬んで、自分は不幸だと思った。認知症の母の面倒を見て、めんどくさいなと思い、自分は不幸だと思った。いつもいつも、自分!自分!自分だけが幸せになりたい!と思っていた。

家族が楽しそうに会話している。自分がその輪に入れなくたって、家族が楽しくしていればいいじゃないか。自分の稼ぎが少なくたって、同級生が立派になっていくのを喜べばいいじゃないか。

自分の幸せなんて、庭の花が咲いたとか、骨董市でいいものを見つけたとか、家に帰ったらアイスを買ってくれてたとか、おまけみたいなもので十分なのだ。それでなくても、家族が健康で過ごせているだけで十分幸せだ。自分は十分幸せなのだから、あとは、周りの人を幸せにすることを考える。そう考えると妬み嫉みやっかみひがみ、そういうものが全て消えて、逆に喜びに変わった。

僕は昔、「苦労が絶えない手相」と言われたことがあって、まさにその通りの人生だなと思っていたけど、その原因の全てが自分の幸せしか考えないこの性格にあったと思う。

50を前にして、今頃気がつくなんて情けないけれど、今この時から、周りの人や動物や社会など、自分以外のすべての幸せを第一に考えるようになりたい。


トラペジウムとニムロッド

人生は選択の連続である。

進学や就職、結婚など人生の大きな局面での選択もあれば、今日何着て行こうとか今日のお昼何食べようみたいな日常の選択もある。人は1日に選択できるキャパシティみたいなのが決まっていて、そのキャパシティを超えると正確な判断ができなくなるらしい。選べるというのは贅沢なことだけど、いい仕事をしようと思えば、できるだけ選択する要素は少ないほうがいい。有名な話では、スティーブ・ジョブズなんかは毎日同じ服を着ているけれど、あれなんかも、「服を選ぶ」という無駄な思考を省いていると言える。そういう意味では、今の社会は選択の要素がとても多くなっている。ネットやスマホの普及で、嫌でも情報が氾濫しているし、スマホをいじっているとそれこそ選択で頭をフル回転させているみたいなものだ。

僕の場合は、基本的に選択しない生活を送っている。朝昼晩のご飯は、全て嫁さんが作ってくれたものを食べているし、服は着る順番を決めている。空いてる時間はほとんど本を読むことにしているし、本当に仕事以外は選択することがない。

僕が好きな読者も、最近では本を選ぶという行為をなくしている。ブクログというアプリを入れていて、そこに表示される「話題の本」を、図書館で片っ端から予約する。予約した本が届いたら図書館に取りに行くだけ。この本はおもしろそうだなとか、この本のレヴューはどうだろうとか、まったく考えない。

この方法は、自分の興味のない本に出会えるというメリットもあるけれど、たまに失敗するデメリットもある。この前は、立て続けにくだらない本を読むことになってしまった。トラペジウムとニムロッド。トラペジウムは乃木坂46のメンバーとやらが書いた小説で、これがまったくつまらない。主人公がアイドルになるまでの過程を書いてるんだけど、まさに、過程を書いてるだけ。話に起伏も盛り上がりも奇想天外な展開もなくまったくつまらなかった。後からアマゾンのレヴューを見たら、やたらレヴューが高かったけど、ファンが読んでるんだろうか?ニムロッドは、芥川賞を取ったらしいけど、話がいろんな方向に飛んでいて、結局何が描きたかったのか理解できなかった。芥川賞を取ってるくらいだから僕の理解不足かもだけど、こちらも後からアマゾンのレヴューを見たら、賛否両論だった。

乃木坂と芥川賞。まあ、確かに「話題の本」ではあるわな。



展示会を終えて

昨日今日の2日間、インテックス大阪で比較的大きな展示会に出展した。

僕が今の部署に異動にして初めての展示会の仕事。右も左もわからない。始めに業者さんに展示会のプランを出してもらった時、社長はそのプランにいい顔をしなかった。何度もプランを出してもらうのも悪いからと、僕がプランを考えることになった。僕が他の人に比べていいデザインをたくさん見てるからということと、今の業者さんから出てくるプランには限界があるだろうという思いが社長にあったかもしれない。僕がプランを考えることになって、古いインテリア雑誌を引っ張り出し、デザイン系のウェブサイトでショップデザインを検索しまくってプランを考えた。プラン以外にも、パンフレットの手配、サンプル台の手配、造作の打合せなど、やることはたくさんあり、そのどれもが初めてのことだったので、慎重すぎるほど慎重に進める。それでも、展示を予定していた建具は、設置の前日に空配管が細くて配線が通らないことがわかったり、メインのスマートロックは、展示会の前日まで、製品ができていなかった。ほぼ、ぶっつけ本番の世界。

なんとか展示会に間に合って、ふたを開ければ、ブースに人が溢れかえるほどの大盛況。まれに、電気系の製品がうまく作動しないトラブルはあれど、大きなトラブルはなかった。僕は裏方なので、展示会の始まりと終わりだけに顔を出して、無事が確認できたら、あとはオフィスで他の仕事をする。後から聞いた話では社長もとても機嫌がよかったらしい。無事に展示会が終わって「お疲れ様っした!」と皆が声をかけてくれるけど、成功して当然の世界。トラブルはなくて当然で、それより、人の動線や搬出入の段取りなど、反省点も多い。大きなトラブルがなくて安心はしたけど、これで満足していてはいけない。少しづつでも、いい意味で想定外の結果を出して、自分の発言権を築く必要がある。ある程度はこうすればうまくいくという道筋は見えている。少しづつでも周りからの信頼と評価を得て、結果に繋げる。自分が見ている会社の未来はもっと先にある。

この展示会の成功は、たった1歩の歩みに過ぎない。


死にがいを求めて生きているの(校正版)

僕が初めて読んだ朝井リョウの本が、MUTEのウミノさんに薦めていただいたエッセイ、「時をかけるゆとり」だった。

そんな朝井リョウが人間ドラマを描く長編小説。螺旋プロジェクトといって、8組の作家陣があるルールのもと、海族と山族というふたつの一族が対立する歴史を描いた競作企画のひとつだ。爆笑のエッセイ、「時をかけるゆとり」とは打って変わって、シリアスな内容。6人の視点で物語が進められるが、その登場人物の歩む人生や考え方が自分と重なり心に突き刺さる内容だった。

大学で音楽に主張を乗せるレイブと呼ばれる活動をする安藤与志樹。その活動をSNSにアップし、高校時代の同級生から反応があった。

「当時は自分を見下していただろうクラスメイトから、いいねがあった。…見返してやりたい。そんな気持ちの萌芽が顔を出した」

小さい頃から何をやってもうまくできなかった。うまくできない自分をみんなは馬鹿にして笑った。今に見ていろ、そんな感情が僕を支配するようになっていた。

「大して政治に興味がないくせにレイブやってたのって、生き生きとしてる自分を周囲に見せつけたかったからなんでしょ?」

いつも他人と比べていた。自分がどうであるかではなく、人がどう思うか?、そればかりを考えるようになっていた。

「李君の兵役を知ったとき、負けたって顔してた」

勝ち組、負け組という言葉が僕を支配した。とにかく僕は「勝ち」にこだわった。僕にとっては、勝っているか負けているか、それが大切になっていた。

番組の制作会社でうだつの上がらないディレクターとして働く弓削晃久。大学を卒業して就職せず、自分でドキュメンタリーを撮影し、成功を収める。

「大学を卒業するころ、これから社会に出る友人たちとは違い、すでに自分の能力が作品として評価されていた弓削は、周囲から一目置かれる存在だった。入社一年目から即戦力として働き続けていた弓削は、…などと愚痴る同級生たちに、一丁前にアドバイスを繰り出していた」

「今、かつての友人たちは多くの部下を抱える地位に就いている。弓削が今どんなものを撮っているかなんて、誰も興味を示していない」

誰よりも出世欲が強かった。いい大学を出て、マジメにしていれば普通に出世ができていたはずだった。どこで踏み外したのか?気付けば、周りは普通に出世しているのに、自分だけが取り残されていた。

小説に出てくる登場人物の考え方が、悩んでいる内容が、いちいち自分と比較される。自分だけではないのか?それとも、失敗を犯してしまう人間を描いた小説の登場人物がたまたま自分と同じような境遇だったのか?いずれにしても、それらの登場人物は転がる石のように、人生を転落していく結末を迎える。

どこかで見覚えのある風景。そうだ。池井戸潤の描く世界だ。池井戸潤の小説に出てくるサラリーマンも、同じように、社会のなかで、会社の中で出世や世間体に縛られ堕ちていく様が描かれる。

この本は奥深い。一度読んだだけでは理解できない深さがある。もう一度じっくり読みたい。自分のことをもう一度振り返る為にも。


死にがいを求めて生きているの

僕が朝井リョウの本を初めて読んだのは、MUTEのウミノさんに薦めていただいたエッセイ、「時をかけるゆとり」だった。

そんな朝井リョウが人間ドラマを描く長編小説。螺旋プロジェクトといって、8組の作家陣があるルールのもと、海族と山族というふたつの一族が対立する歴史を描いた競作企画のひとつだ。爆笑の「時をかけるゆとり」とは打って変わって、シリアスな内容。6人の視点で物語が進められるが、その登場人物の歩む人生が、考え方が自分と重なり心に突き刺さる。

大学で音楽に主張を乗せるレイブと呼ばれる活動をする安藤与志樹。その活動をSNSにアップし、高校時代の同級生から反応があった。「当時は自分を見下していただろうクラスメイトから、いいねがあった。…見返してやりたい。そんな気持ちの萌芽が顔を出した」。「大して政治に興味がないくせにレイブやってたのって、生き生きとしてる自分を周囲に見せつけたかったからなんでしょ?」「李君の兵役を知ったとき、負けたって顔してた」。

番組の制作会社でうだつの上がらないディレクターとして働く弓削晃久。大学を卒業して就職せず、自分でドキュメンタリーを撮影し、成功を収める。「大学を卒業するころ、これから社会に出る友人たちとは違い、すでに自分の能力が作品として評価されていた弓削は、周囲から一目置かれる存在だった。入社一年目から即戦力として働き続けていた弓削は、…などと愚痴る同級生たちに、一丁前にアドバイスを繰り出していた」。「今、かつての友人たちは多くの部下を抱える地位に就いている。弓削が今どんなものを撮っているかなんて、誰も興味を示していない」。

小説に出てくる登場人物の考え方が、悩んでいる内容が、いちいち自分に突き刺さる。自分だけではないのか?それとも、失敗を犯してしまう人間を描いた小説の登場人物がたまたま自分と同じような境遇だったのか?いずれにしても、それらの登場人物は転がる石のように、人生を転落していく結末を迎える。

この小説はとても奥が深くて、複雑に入り組んだ内容なので、改めてもう一度読んでみたい。






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